プログラミング・ディレクターの3人が映画祭について語る
「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」は今の形では終了
(掛尾) 映画ジャーナリストの平辻哲也さんの2月18日の記事によると、埼玉県・川口市で開催されている「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」は、『「これまでの映画祭に替えて新たなイベントを開催する」という今回の方針転換は、知事の最終決定として通知された』とあります。つまり、今の形では終了となり、別の形の映画イベントは継続するということになったと。「SKIPシティDシネマ映画祭」は2004年に始まり、2025年で22回目となるかなり長い歴史のある映画祭で、当初は1.000万円という高額の賞金のコンペティションもあり、財政基盤もしっかりしていると外部からは見えました。この終了はお金の問題ではなく、D(デジタル)が当たり前になった今、時代に合わせ、新しい形の映像イベントに変貌するようですが。
平辻さんは、一方的な抗議にならないよう『「延期」でも「縮小」でもなく、はっきりと「これまでの映画祭に替えて」と書かれています。つまり、これまでの若手監督発掘の場は、公式にリニューアルされるということです。』と知事の趣旨を補足しています。
そして、平辻さんは、以下のように書いています。
『“AIやVFX、XRなどの技術が進化し(中略)先進的な映像技術を用いた映像作品のコンペティションや映像コンテンツの紹介等からなる新たなイベントを開催”
(パブリックコメントの回答からの抜粋)
ここにあるのは、「シネマ」への敬意ではなく、「最新技術」への信仰です。 もちろん、AIやXRは素晴らしい技術であり、産業振興としては正しいのかもしれません。しかし、それは「映画文化」の文脈とは別物です。
「縦型動画のコンペ」や「AI生成映像の品評会」から、次の『孤狼の血』を撮る監督が生まれるでしょうか? 「映像コンテンツ」という言葉には、消費される対象としての軽さを感じざるを得ません。そこには、160本の作品一本一本に込められたような、泥臭い人間の情念や作家性は求められていないのかもしれません。
この映画、映像に対する向き合い方のズレも、資金や会場を提供する主催者側と実際に現場で運営する側、そして出品者、観客を含めて、様々な問題があります。』
ところで、現在、コミュニティシネマの発表によると、日本国内では150〜160の映画祭があると、そして小規模なもの、コンペのない上映会を含めると300〜400もあるそうです。活発に行われているようですが、実際は長続きする映画祭は少なく、伝統ある映画祭も継続、存続の危機にあるところが少なくないと聞きます。映画祭が中止になる理由として、以下のものがあげられています。
⚫️公的資金の打ち切り: 自治体の財政難による補助金の削減。
⚫️担い手不足: 運営がボランティアや特定の有志に依存しており、世代交代がうまくいかない。
⚫️デジタル化への対応: 映写設備のデジタル化(DCP対応)へのコスト負担。
また、今年に入って、ミニ・シアターのシネマカリテ新宿、シネ・リーブル池袋、サツゲキ・シネマサンシャイン(札幌)、が閉館、クラウドファンディングで資金協力を募り苦境を凌いでいるミニ・シアターもあるようです。さらに、映画雑誌も厳しい状況にあると聞きます。これらの問題はバラバラに起きているのではなく、底流の部分ではつながっている。つまり、インディペンデント映画、アート系の映画に関わる世界が崩壊し始めているのではと思います。

長くなりましたが、そこで今日は、塩田時敏さん、暉峻創三さんにお集まりいただき、映画祭の話を中心に危機に直面する映画文化についてお話ししていただきたいと思います。私と塩田さん、暉峻さんとは20世紀からの付き合いで、お二人についてはプロフィールをご覧ください。
それでは、まずは映画祭についてお話ししていただきたいと思いますが、映画祭の問題については、主催者となる自治体などと、それから、実際に運営する、つまり我々、運営者の問題があると思います。まず、今の映画祭では、どんなことが問題になっているとかお二人に聞きたいと思います。
長年かけて築いたブランド性、市の財産を、無に帰してしまったのはもったいない
(暉峻) そうですね。すごく難しい問題で、一言では言えないんですけど、とにかく映画祭がなくなっている。元々怪しげな映画祭がなくなるのはよいのですが、日本では昨今、国際的な映画祭としてしっかりと実績を積み、定評を確立してきた映画祭が、主に行政側の判断で突然終止符を打つという例が続いています。
例えば「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」。1991年から2020年まで福岡市で開催され、アジアの新作・話題作に焦点を当てたとても評価の高い国際映画祭でした。私がやっている大阪アジアン映画祭の先輩格で、予算規模も大阪より格段に大きかった。アジア映画に焦点を当てるという点では、海峡を隔てた釜山国際映画祭よりも先輩格に当たる、先見の明がある映画祭でもありました。また、日本では映画祭にプログラム・ディレクターという職種が必要であることが長年理解されないままの時期が続きましたが、そんななか福岡はその重要性を日本で初めて公的に認識し、佐藤忠男さんをそのポジションに迎えたという点でも先駆者的だったと思います。アジアとの接点になる福岡という立地も良く、最後の何年かはアジア映画に特化したマーケット、企画マーケットも併設するなど、行政や地元経済界が一体となって最後まで力を入れているのが感じられた。それが、結局は行政の判断で失われたのは本当にもったいない。
映画祭は基本的に1回性のイベントではなく、回を重ねて少しずつ実績や信頼を積み上げていく、長期的視点が必要とされるイベントです。長年かけてせっかく築いたブランド性、市の財産を、無に帰してしまったのは何とももったいない。今後新たに映画祭を始めようとしても、それをゼロから築き上げるのは本当に大変なことです。
「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」も同様ですね。映画祭として長年かけて築き上げた定評、海外の映画関係者からの信頼も確実にある映画祭でしたが、その重み、価値を行政が正当に評価できず、放棄してしまった。表向きはDシネマ、つまりデジタルを標榜してきた映画祭ですが、この映画祭の真の価値は、作品、作家を一つひとつとても丁寧に扱い、敬意をはらってきたという点にある。これはラインナップや公式サイト、公式カタログ、そして現場での上映やQ&Aを目にすれば、たちどころにわかるこの映画祭の特質です。特定の1日にレッドカーペットを敷いて、華麗なスターたちを歩かせることばかりに目が行き、主催者が悦に入っているタイプの映画祭とは正反対の思想で運営されていた。それはデジタルを改めて標榜する必要があろうがなかろうが、この映画祭が続けられるべき永遠の価値になっていたと思います。

(掛尾) 「広島国際アニメーションフェスティバル」も終了しましたね。「広島国際アニメーションフェスティバル」は、2020年に終了したのですが、理由は、当時の市長による「アニメーションという特定分野に特化するのではなく、もっと幅広い『総合的な芸術祭』にする」という方針転換。 その結果、国際的な認証団体(ASIFA)から公認を取り消され、長年築き上げた世界的ブランドを失ってしまった。
前述した映画祭が終了する3つの理由以外に、自治体の長の方針転換というのもありますね。特に選挙で首長が変わった時は危ない。
それにしても、日本のアニメーションが世界で注目を集めるとき、「広島のアニメ映画祭」の終了はもったいないと思います。他にも終了した映画祭で私に馴染みがあるのは「水戸短編映像祭」、「あきた十文字映画祭」、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭(1990年から開催〜)」は現在も開催は続いているようですが、実際は迷走しているようにも見えます。
(塩田) ゆうばり国際ファンタスティック映画祭は、まあ、市の財政破綻でお金がなくなり、映画祭どころか街そのものが潰れてしまいました。日本唯一の再建団体とはスケールが違うけど、他でも、映画祭が中止になったところの理由は、結局はお金がなくなったという事に尽きるんじゃないでしょうか。
先頃文化庁が国立の博物館や美術館に収入の目標を立てて、達成できなければ再編の対象とするという方針を発表したけど、映画祭も同じで、国や地方の自治体が映画文化を維持しよう、守ろうという気持ちが弱いし、無いんだろうと思います。少子化、人口減少で金がないのは分かるけど、そのくせ戦争に向けて金の投入を惜しまない。ふざけんじゃねぇよと、金を遣うべきところは映画や文化だろ。

(暉峻) 映画祭におけるプログラミング・ディレクターの役割は、本来は、作品をたくさん見て、良い映画を選んでくることです。ヨーロッパの安定した国際映画祭ならそのような職務に専念できる人もいるのかもしれませんが、日本ではなかなかそうはいかないですね。
自分自身も、大阪アジアン映画祭プログラミング・ディレクターとしての仕事の大半は、この映画祭を継続し、発展成長させていくという部分に割かれています。そのせいもあって、映画を見る時間を取るのが、ままなりません(笑)。
実際、大阪アジアン映画祭でもこれまで幾度か、映画祭の歴史に終止符が打たれてもおかしくなかった局面がありました。掛尾さんも指摘されたように、その一つは首長が変わった時、つまり橋下市長(当時)が就任した時期です。大阪アジアン映画祭だけが標的になったわけではないのですが、いったんは大阪アジアン映画祭向け予算もゼロ査定になりました。ただ、その時の市役所との議論で一つだけ収穫だったのは、仮に大阪市がこのまま一銭も予算を出さないと最終決定した場合でも、大阪アジアン映画祭自体はその名称のまま続けてもよい、という言質が取れたことです。つまり、大阪市に大阪アジアン映画祭を廃止する直接的権限がないことだけは、ハッキリさせることができました。とはいえ映画祭総予算の内、最大の資金拠出者は大阪市であり続けてきましたので、実際に大阪市が予算拠出を止めるとなったら、大阪アジアン映画祭の存続も難しいのは、いまだ厳然たる事実です。
必ずしもこの出来事があったからだけではなく、それ以前からの話なのですが、大阪アジアン映画祭にプログラミング・ディレクターとして就任以来、私が特に関心を注ぎ続けているのは、映画祭の予算構造です。自分は映画祭の創設者ではなく、2009年の第4回映画祭からプログラミング・ディレクターとして招かれた立場ですが、招かれた当初の大阪アジアン映画祭は、市の予算におんぶにだっこという状態で、総予算のほぼ8~9割がたは大阪市の予算に依っていたと記憶しています。その構造を改革していくことを大きな目標に掲げ、以来、一方で市役所に対しては拠出予算の増額を継続的に希望しつつ、一方では映画祭総予算のうち大阪市拠出分の比率が5割以下になるような予算構造を目指してきました。ここ10年ほどは、一貫して大阪市の拠出予算は総予算の5割以下で推移しています。
代わりに、文化庁やアジア各国政府などからの支援・協賛金、そしてお客さんや映画祭サポーターからの収入の合計が、大阪市拠出予算以上の比率を占めています。
このように、地元の行政に頼りきるのではなく、財源の多角化を図っていくことが、映画祭存続や成長のためにとても大切なことだと考えています。これは、実のところ大阪市にとっても好ましいことなはず。市役所内部での翌年度の予算要求段階で、外部の政府等公的機関がこれほどの支援、資金拠出をしてくれている映画祭なのだと担当部署が説明できることは、予算要求の際の大きな説得材料になるものと認識しています。

(掛尾) 確かに、国の助成、補助というのは大きな問題だと思います。一方で、映画祭を開催する自治体、また映画祭を自治体に開催するよう提案する運営者にも問題があると思います。地方創生、地域の活性化とかいうテーマで安易に映画祭を開催する例も多々あるように思います。
そういう映画祭に市の税金、国の助成金が使われるのはどうかと思う。私はいろいろな助成金の申請を審査する立場になることもありますが、その時、申請の要件を満たしていれば、開催意図が怪しくても採択しなければならない。恣意的に採択、不採択を決定できない。
レッドカーペットのない映画祭は、良い映画祭
(暉峻) そういう映画祭はけっこうありますね。日本では、行政が資金を出す際の審査力、審査システムの面でも、映画祭を正当に評価、審査できる体制が不足しているのかなと思わされることがあります。
2018年から2回だけ開催されて終わった「熱海国際映画祭」は裁判沙汰にまでなりましたよね(注1)。映画祭のプロであれば、この熱海国際映画祭は第1回の開幕を待つまでもなく、構想を記者発表し作品募集のために公式サイトがオープンした時点で、もう相当に怪しげな映画祭であることが確信できたはずです。でも実際には、そこに様々な公的資金が拠出されていった。背景に審査力の不足があったことは否めません。
2024年に、2025年11月に名古屋で第1回を開催すると発表された「中部日本国際映画祭」も、発表の際はテレビでも紹介されたりしましたが、その後どうなっているんですかね? 目玉は名古屋駅前を封鎖して世界最大級のレッドカーペット・セレモニーを行うことらしいんですが、それ以外に映画や映画祭の本質と関わる開催意図がなかなか見えてきません。
以前、オフィス北野騒動で東京フィルメックスが厳しい環境に置かれていた時、審査委員長を務めたウェイン・ワン監督が壇上で開口一番「レッドカーペットのない映画祭は、良い映画祭です」と述べたのですが、これは全ての映画祭にあてはまるわけではないにしろ、言い得て妙な名言だなと思いました。
(塩田) 愛知には、あいち国際女性映画祭(1996年6月に第1回が開催)というテーマがしっかりとした歴史のある映画祭がある。横浜にも、長い歴史のあるヨコハマ映画祭(1980年に第1回が開催され2025年で47回目)や「横浜フランス映画祭」(ユニフランス主催)があるのに、最近、横浜国際映画祭というのが始まった。
(掛尾) 横浜はネットで見ると、『主催者は横浜国際映画祭株式会社、目的: 横浜の街全体を舞台にした「映画の祭典」として、レッドカーペットイベントや新作上映、映画マーケットの創出を目指しています。』と書かれている。やっぱりレッドカーペット。別にレッド・カーペットが悪いとは思わないけど、主催する自治体の関係者は、そこにだけ注目してしまう。確かにまだほとんど無名の監督の作品に一般の注目は集まらないのだから仕方ないのかもしれないけど、肝心の出品作品には関心を示さない。
まあ、ある映画祭で、毎年、自治体の長がスピーチするとき、無理して監督名や作品名を引用するんだけど、そうすると、かならず名前や題名を間違える。そうすると、知らないこと、無理して喋ることないのにと。予算の限られた地方の映画祭は、ある程度、華やかなイベントを用意しないと市民の関心を集まらない。そして、肝となる映画祭の上映には一般の人たちの関心は集まりにくいので、継続が難しくなる。
(塩田) ゆうばりはファンタ、大阪はアジア、山形の山形国際ドキュメンタリー映画祭とか、映画祭はテーマがしっかりとしてないとわざわざ開催する意味はないですよ。
日本に映画祭と称するイベントは無数にありますが、その殆どは実質自主上映会ですよね。それはそれでいいんだけど、映画祭は開催する意味、意義が大事でしょう。韓国も腐るほど映画祭と名乗っているものが多いですが(笑)。昨年末、“2030 YOUTH FILM FESTIVAL” というソウルのアリラン·シネセンターで開催の映画祭に審査員と、「りりかの星」の上映で参加しましたが、うちは政権が変わっても影響受けないと豪語してました。釜山映画祭も政変の影響は大きいですからね。若者達に格安の食事を提供していた神父さんが、そこに集まる若者達の更なるコミュニケーションとして、資金提供し映画を作らせたのがこの青年映画祭の始まりだそうです。身体の栄養から心の栄養でしょうか。
当初その発表会的なものでしたが、一昨年の第4回から広くコンペでインディーズ映画に門戸を拓き、去年の第5回は閉会式を東大門メガボックスで行うまでに成長していました。映画評論家であるチョン・ジウク氏という確かなプログラマーがおり、神父さんの人徳というのか色々と寄付や物資が集まるようです。なので行政には頼ら無いからと。キリスト教が根強い韓国らしいというか。

(暉峻) たしかに、すぐに潰れる映画祭はテーマがしっかりしていない。開催意図がはっきりしていない。あと、これは偶然かもしれませんが、日本語の名称は「○○映画祭」となっていても、英語の名称の方は「○○フィルム・フェスティバル」ではなく、「フィルム」に加えて何か余計な英単語が加わっている映画祭は、持続性や開催意図を慎重に見極める必要性がありそうです。熱海も、英語名の映画祭部分はたしか「Film and VR Festival」となっていました。
(掛尾) 映画祭には華やかな部分と地味な部分がある。お金があれば両方ができるけど、お金がなければ、地味な部分を愚直にやるしかない。私は日本で最も大きな映画祭のスポンサー集めや、企画の提案に関わったことがあります。巨大な映画祭なので、映画専門ではなく、華やかな国際イベントのプランナー、デザイナー、有識者が集まっていろいろな意見を言う。その時、例に出て来るのがカンヌ国際映画祭で、正装で着飾った世界のスターがレッドカーペットを歩く。上映される映画は話題作ばかりだと。でも、そういった映画は、招待上映の映画で、コンペ、監督週間、ある視点、それぞれの部門で上映される映画は世界中から選ばれた地味な映画であることには注目しない。そして、日本の映画祭はダサいと。男性はタキシード着てないとか。
(塩田) 自治体の長は、地方創生とかで映画祭を開催し、日本のスターとレッドカーペットを気分良く歩き、そこに観衆も集まって、映画祭は成功と思ってしまう。カンヌのミニ版を地方都市で開く。映画祭というのは、そもそも、無名の監督の作品を上映する、そこから人材を発掘するというのが使命なのに、自治体の長とかは、派手な部分にしか目が行かない。そもそも映画そのものに、愛や想いが無いんだろうね。また、映画には関係のない、行政が計上する金に集って、イッチョカミしようとする人間が必ず擦り寄ってくるし(笑)。冒頭で言われた、主催者側の自治体と運営者側の映画祭に向き合う姿勢のズレはレッドカーペット等に如実に出てくるんでしょうね。
(掛尾) そういう意味では、惜しまれて中止になる映画祭がある一方、安易に始めてすぐに潰れる映画祭もたくさんあるということですね、さっきの熱海の映画祭とか。映画への思い、愛というより、地域の活性化とかをテーマに、地方のメディアや企業、自治体が中心になって始めると、期待したほどの話題にならない、集客が良くないとかで、迷走して中止になる。映画が好きな人が雇われて運営していると、主催者と集まった監督、プロデューサーたちの板挟みになったりして苦しむこともあります。
(暉峻) なんで始めたのか分からない映画祭というのもいっぱいある。
(掛尾) そもそも映画祭というのは日本ではビジネスにならないのに、主催が株式会社というのが怪しいところがある。こう言うと、だからダメなんだ、ちゃんとスポンサーを集めてやれば成立すると怒られる(笑)。あと、例は少ないのですが、運営者、つまり我々のようなプログラミング・ディレクターが、自分の好きな映画、見せたい映画を一方的の選ぶ、それが独りよがりの選択で「面白いだろう、みんな見てくれ!」と上映するけど、観客不在、追いて行けない。
(塩田) そこは、プログラマーと観客の呼吸が合うか、紙一重ですね。ゆうばりも初期は市民の税金を使っていた以上、招待作品部門ではガチなファンタと言うよりも、広く一般向けの非ファンタ系作品も上映していました。その代わり三つのコンペ部門では、どファンタな映画に拘りました。かつては下に見られていたホラーやSF、ゲテものファンタな映画ですが、スピルバーグ以降と言っていいのかな、ファンタ系がメジャーの中心に乗り込んで来た時代と重なりましたし。東京ファンタの流れも組んでいたので、ゆうばりはファンタということで、全国から集まった観客との呼吸はあっていたのです。

(掛尾) 確かにゆうばりは、アボリアッツ国際ファンタスティックス映画祭を参考に東京国際ファンタスティック映画祭が始まり、それを受け継いでいることでは、流れが出来ていた。
ところで、映画祭の話しとなると、ここ数年、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭は迷走しているように見えます。話せる範囲で、お話ししていただければ。そもそもの始まりの経緯などから。1回目はジョン・ボイトが審査員で、豪華でしたね。私も参加しましたが。
(塩田) 中田(鉄治)市長が熱狂的な映画ファンで、市民会館の中に、ミニシアターを作るぐらいの映画好きでした。映画祭を開催する熱量は有り余っていた。竹下内閣のふるさと創世事業で公布された1億円を活用して、ジョン・ボイトと、その娘でまだ子供のアンジェリーナ・ジョリー(笑)も呼んで映画祭を開催することになった。

(掛尾) 私が感動したのは、札幌からゆうばりまで、特別の列車を仕立てて、そこに映画祭に参加する道外のファンが乗っていて、通過する駅のホームには、地元の人たちが手を振っている。地域全体が映画祭を盛り上げていた。炭鉱がなくなって、その地域の人たちは、映画は分からなくても、精一杯、映画祭を応援しようという熱気を感じた。

(塩田) 地元のボランティアさんの熱意も凄くて、始まりは上手くいってたんですよね。映画業界をも巻き込んで、応援を受けていました。東京国際映画祭はともかく、ちょっと他の映画祭にもない業民一体のスタイルでした。まぁ市長を先頭に好き放題やってたというか(笑)。
タランティーノがコンペ出品で来てたし、キム・ノヴァク、ドミニク・サンダにロバート・ワイズ監督等々が来るんですから、往年の映画ファンにしてみれば涙、涙ですよ。デニス・ホッパーからホウ・シャオシェン監督に勝新太郎、ロジェ・ヴァディム監督が一緒に並んでたんですからね、信じられません、こんな田舎で。だから、2006年の市の財政破綻も無理からぬ事なんですが(笑)。で、ここまで大きい映画祭を潰すのは勿体ないと、2007年には映画業界の音頭で応援映画祭なるものが開かれました。しかし、それだけでは単なる新作のショーケース、映画祭ではないと、地元の澤田直矢さんと僕とで駆け回り、翌年第18回からなんとか再開できた。映画祭としてオフシアターのコンペだけは死守して。NPO法人も立ち上がり、入江悠や山下敦弘を輩出し、インディーズに足跡を残せました。プロデューサー同士で借金のたらい回し、自転車操業でいつ潰れてもおかしくなかったんですけどね。
決定的だったのはやはりコロナですね。その前から冬場は金かかるので来年から夏に開催、という矢先に、開催どころか人が集まる事が禁止となりオンラインになってしまって。Huluの協力得たり、何とか続けられましたが、その間にホテルが中国資本に買収されたり閉鎖になったり。上映や宿泊というゆうばりのインフラが壊滅し、人口も現在は五千人を切り、映画祭などやれる状況ではなくなりました。NPOも破産申請するし。これは自然消滅するものと思ってたら、映画とは関係の薄い、訳のわからんところがのり出してきて、思い出映画祭たら何たらと、ゆうばりファンタの名前を利用される始末で。そこでは映画への愛や想いの一切感じられない、意味不明なイベントをやっている。せめてコンペだけは止めてくれと申し入れても聞いて貰えない。想い出と名乗り過去を振り返るイベントが、未来、将来ある若手の芽を摘むような事やっちゃいかんのですよ。そんなパワーは今のゆうばりには無い。
中止になる映画祭が今日のテーマですが、世の中には中止すべき映画祭もあるんです。そんな状況に苛立ち、元ゆうばりファンタのスタッフで始めたのが “北海道国際映画祭in○○”です。映画館はないが上映や宿泊施設のある町を廻って開催します。映画への愛、映画人への想いが熱い地元のボランティアがついてくれて、これが本来の映画祭だと思いますね。
(掛尾) 規模の縮小とかは考えなかったのですか。
(塩田) 確かにNPOを立ち上げてから、予算にあったかたちで何とか維持をしていたんだけど、やはり困難になっていった。5000万円集めても、繰り越してきた借入金の清算に当てたりするような状況になって。それに縮小して映画だけ上映しても、それはもう映画祭とは言えません。作り手同士や観客も捲き込んだダイナミックな交わり、そのケミカル反応こそが映画祭で、現実的にゆうばりにはもうそのインフラの場も無くなってしまったんです。
(掛尾) ゆうばりのような、ある程度、集客力のある映画祭でも、自治体の支援がないと継続は難しいということですね。
(暉峻) 日本では、公的支援抜きで映画祭が黒字になったり、収支トントンになったりすることはあり得ないですね。字幕費用もかかるし、会場費も異常に高いです。海外でも、英語圏の国を別にすれば、状況は同じだと思います。
(塩田) 去年のSKIPは、国際とうたいながら日本映画しかやらなかった。あの辺から大丈夫かと思っていた。
(暉峻) ヨーロッパでは、ヴェネチアとかカンヌをはじめ、映画祭は半永久的に続くのが当然と考えられてるけど、日本では、最初の数年は行政は支援しても、その後は止めてしまう。映画祭を始めるのなら、数年先までだけでなく、50年後、100年後も確かにその映画祭は続けているのだというビジョンを持ったうえで始めてほしいですね。
(掛尾) しかし、SKIPは予算がなくて今のかたちを変えたのではないと。外国映画をやらなかったのは、どういう理由か分かりません。冒頭で塩田さんが、国は美術館、博物館に来場者を増やし、収益を上げることを求めていると言ってましたが、映画祭はどうなんでしょう。自立できると思いますか。何をもって自立と言うのかも難しいのですが。例えば、狭い意味で、招待監督のアゴアシ、スタッフの人件費、会場使用料などの費用に対して、入場料、物販などの収益で黒字になるか、または、もっと広い意味で、ずべての来場者が落とすお金と費用で相殺できるかとか。
(暉峻) 聞いた話では、トロント国際映画祭は自立できてるみたい。映画祭側で字幕を作る必要がないとか、自前の会場があるというメリットもあるので、意外とコストがかからないとかもあるかもしれないけど。でも自立を第一にすると、チケット代は途方もなく高額になります。
(掛尾) 自立という意味では、カンヌ映画祭では併設されているマルシェという映画を売り買いするマーケットがあります。ベルリン国際映画祭にもヨーロピアン・フィルム・マーケットが併設されている。そこに世界中の映画のセラーとバイヤーが集まる。参加するには3万円程度の登録料がかかる。その人たちが落とす宿泊費、飲食なども大きい。プサン国際映画祭もBIFCOM、東京国際映画祭もTIFCOMというマーケットを併設して、ある程度の結果はだしていますが、補助金なしで自立するまでには至っていないでしょう。さらに、近年は、円安とインバウンドのためにホテル代が高騰していることも大きな問題になっている。
(塩田) 国を代表するような規模の映画祭は別として、地方でも映画祭がなんとかやってこれたのが、コロナの感染拡大で大きく変わってしまった。人が集まることが出来ないので映画祭は中止になったり、オンライン映画祭になり、その間に配信が普及した。
(暉峻) でもオンラインが普及したからこそ、フィジカルな映画祭の重要性が増したと考えています。デジタル化で誰でも映画が作れるようになり、それをYouTubeにアップすれば誰でも世界同時公開することもできるようになったけど、そんなもの、実際は誰も見てくれない。無数に作られたものから、誰かによって評価され、ある物理的に限定された上映枠のために「選ばれた」ということが、今、作品が作品として世間に存在するための決定的に重要な要素になってきたと感じています。そこに映画祭の役割がある。ところで田辺・弁慶映画祭は、小さな映画祭だけど、外から見るとすごく上手く行っているように見えるのですが、どうして、今のようになったのですか。
田辺・弁慶映画祭はどうして成功したのか
(塩田) 私も昨年、1日だけ参加しましたが、本当に活気があった。かつてのゆうばりを思い出し、嬉しかったです。それに昨年度グランプリの「竜宮の誘い」などファンタ系ですよね。ゆうばりファンタが無きいま、ちゃんと分かっている作り手は田辺弁慶に応募しているんじゃないかな。将来安心ですよ(笑)。
(掛尾) 田辺・弁慶映画祭は、最初の数回は本当に悲惨な状況で、いつ中止になるかと思っていたのですが、その最初の苦境を乗り越えてからは、自分で言うのも憚られるのですが、素晴らしく理想的に育ってきたと言えます。
(暉峻) 映画祭としての成功例。
(掛尾) 2007年11月に1回目の開催がありました。その年の春だったと思うのですが、田辺市の市議会議員の谷口和樹さん(現和歌山県・県会議委員)と言う方が、私(当時はキネマ旬報映画総合研究所・所長)を訪ねて来て、映画祭を一緒にやって欲しいという。それで、私は、映画祭なんてやったって長続きしないから止めた方がいいと説得しました。しかし、すごい勢いで(谷口さんは、なんでも凄い勢いなのがその後に分かるのですが)、私が断れば、誰かのところに行って、食い物にされるのではと思い、引き受けたんですね。その時、経産省がJAPAN国際コンテンツフェスティバル(CoFesta)という事業を行なっており、関西では、クリエイティブ・インダストリー・. ショーケースin関西、「CrIS(クリス)関西」という事業があり、すごい僅かですが、その予算が弁慶映画祭のシードマネーとなりました。
その時、谷口さんが、ある提案をしたんですね。これが後にすごい映画祭の売りというか特徴になるんです。
そのころ、世の中では、“漢字検定”、“世界遺産検定”とか“検定ブーム”があったんですね。そこで、社内でも“映画検定”という企画が出て、私は映画の知識を判定するなんてナンセンスだと反対だったのですが、ここでも、キネ旬がやらなければ、どこかがいい加減な“映画検定”をやるとなって、私がいたキネ旬総研でやることになった。谷口さんは、この“映画検定”の1級合格者を審査員として20名、映画祭に招待すると提案しました。
同時に作品の募集をしたんですが、宣伝費もないので知名度も低く、ぜんぜん作品は集まりませんでした。7作品を招待したのですが、開会式で、出品者のスタッフ・キャストが壇上に上がると、会場は、それこそ映検審査員しかいない。壇上の方が会場よりも人数が多いなんてことになりました。3回目まで、こんな状態が続き、私は早晩、中止になるだろうと覚悟していました。クリス関西の助成金も終わっていたかと思います。また3回目までは、外国の作品を1本招待していたのですが、外国の作品は、海外の映画祭に出品されたもので、作品力に差があり、3回目で海外作品の招待は止めました。予算の問題もありましたので。
ところが、4回目くらいから風向きが変わり始めました。ひとつは、映検審査員の存在でした。1回目の最初の夜のことでした。1級合格者の彼らは、日常は自分と同じ熱量で映画を語る人がいないこともあり、初対面で会った瞬間から、映画談義に没入していきました。上映後のQ&Aや、夜の、出品者と審査員との交流会でも、密度の濃い質問が飛び交い、出品者やゲストの審査員を驚かせてくれました。とにかく、最初の夜、午前4時くらいまで話していました。これは翌日はダウンしているだろうと思っていたら、翌晩も夜中の3時ころまでやっていた。

そして4回目には岨手由貴子監督「マイムマイム」、今泉力哉監督「タマの映画」、加藤行宏監督「人の善意を骨の髄まで吸い尽くす女」(山田真歩主演)と、後にプロの映画界で活躍するような人材の応募がありました。このころから、応募が少しずつ増え始めました。

(暉峻) その後は自然に、何もしなくてもうまくいったということですか。
(掛尾) 弾みがついたのは、確か第5回の翌年にテアトル新宿、テアトル梅田で、弁慶映画祭の受賞作品をレイトショー上映する弁慶セレクションを始めてからですね。
成功の要因を分析すると以下のようなことではないでしょうか。
⚫️ 1回目(2007)から今年(20回)まで、真砂充敏市長が変わらなかった。
⚫️ 主催する自治体が運営者(我々)にほとんど口出ししなかった。
⚫️ 我々も、身の丈にあった運営、予算内でできることしかしなかった。
⚫️ 超低予算の資金(開示できないが)でやってきた。噂や実際に取材した他の映画祭に比べ、驚くほどの低予算だと思う。
⚫️ 弁慶セレクション上映の相乗効果
⚫️ 自治体(田辺市)、我々(東京の運営チーム)の連携、キネマイスター審査員(旧映画検定審査員)、出品者、ゲスト審査員の絶妙のハーモニー。
こんなところだと思います。現在はキネマイスター審査員と呼んでまいすが、固定化しないように、若返りをするように、テアトル新宿の観客に、年間映画鑑賞50本以上と自認する人は審査員に応募しませんかとか、東京学生映画祭と連携したりしています。

(塩田) 去年、田辺に行ったとき聞いたけど、市長が変わっていないというのは大きい。私の周りにも、田辺に行きたいという人がいるし、コンペの応募本数も増えているということだけど、今後はどうするのか。規模を拡大するとか。
(掛尾) それは、今後の課題ですね。まだ、我々、東京の運営チームでも話し合っていないことです。ディレクターの立場で言うと、上映本数を増やすということは開催日数を増やすことにもつながるのですが、これ以上の市の負担が増えることには賛成ではありません。コンペの応募が増えることや、映画祭に全国からやって来るファンが増えることもありがたいことですが、それを受け入れる体制を用意するのは大変ですよね。ゆうばりファンタだって、私は20世紀のころは何度か行きましたが、いつも宿の確保が大変でした。しかし、新たにホテルを建てても、映画祭に来る客は一過性で、年間を通しての客ではないので、建てられない。田辺は幸い、世界遺産の熊野古道の入り口でもあり、インバウンド効果でホテルは1回目より増えていますが。
(暉峻) 会場はどういうところを使っているのですか。
(掛尾) 紀南文化会館という市のホールです。大ホールと小ホールを使っている。大ホールは1階席が866席(固定席742席・ピット席114席・車イススペース10席)、2階席が358席で、通常は1階だけを使っているけど、大人数が予想されるゲストや上映のときは2階も開けます。小ホールは可動式の椅子を置いて、だいたい400席くらい。オープニング、クロージング、招待上映は大ホール、通常のコンペ上映は小ホールでやっています。
(暉峻) 映画の上映は問題はないのですか。
(掛尾) 大、小ともにDCPは入れてあります。
(暉峻) それは凄いですね。大阪アジアン映画祭は、大阪市の施設にDCPが入ってるところはないので、毎回、民間の会場を借りるしかありません。なので凄いコストがかかります。田辺市では、DCPの導入には問題はなかったのですか。
(掛尾) そうですね、DVD、ブルーレイのころから、映写チェックはしっかりやって、映画祭では上映環境が重要だからということは伝えていました。たまたまだと思いますが、映写の担当の方がプロフェッショナルな人だったこともあると思います。そして、招待上映もフィルムではなくDCPしか借りられなくなって、わりあいスンナリと導入されました。
(暉峻) 映画祭を管轄しているのは、市のどういう部署ですか。文化部とか。
(掛尾) 窓口になっているのは観光振興課というところですね。でも、人事異動もあるし、小さな自治体なので、映画祭期間中は市の職員で都合のつく人は総動員という感じです。我々も、以前の担当者と会えるのでいい機会だと思っています。
そろそろ予定の時間が終了となります。今日は貴重な話しをありがとうございました。
自治体などの補助金の問題は、これから急速に高齢化していく日本では大きな問題ですね。自治体の財布なかのお金には限りがある。私は学生時代、食費をけずって映画を見たこともありますが、それを一般の市民に強制はできない。高齢化した市民のために、何を優先するか。医療、福祉、幼い子供の親への支援などが求められるなかで、文化はどうしても後回しにされる傾向にある。ただ、映画祭を守れというのではなく、残す意義のある映画祭にしていかないとだめでしょう。今日は映画祭に関連して、ミニシアターの閉館が続いていること、そして映画雑誌が厳しい局面にあるということ、これは、映画文化を支える土台として繋がっていることで、若い世代の映画館離れとも合わせて語りたかったのですが、私の進行が悪く、ついつい脱線してしまい時間が足りませんでした。また、同様の機会を設けて話したいと思います。
座談会後、原稿をまとめていると、3月26日、朝日新聞に以下の記事が掲載されていた。
「神戸市は、プロの室内オーケストラ「神戸市室内管弦楽団」への補助金を2027年度までで打ち切る方針を決めた。運営する財団の幹部は楽団の解散も検討している。27日に理事会で対応を協議する。」
その背景には「市文化交流課によると、25年度の補助金は約8700万円、26年度は約8500万円を予定。市は、23年度の楽団の収入の69.7%を補助金が占め、拠点の神戸文化ホール(神戸市中央区、2043人収容)で開く年5回の定期演奏会の来場者は平均550人前後で伸び悩んでいるとしている。ただ、24年度は収入が増えて補助金が占める割合は44.2%となり、定期演奏会の来場者も21年度の平均約310人から増えている。」
ということで、補助金を前提にした運営に問題があるとのことです。
それから、国立フィルム・アーカイブの映画鑑賞料金が4月1日から値上げになった。私は、旧料金が一般の映画入場料金に比べて安すぎたと思うので、この値上げ幅は、他の物価の高騰に比べても妥当と思うが、自立できる運営というのが値上げの理由のひとつではないかと思う。値上げは以下の通りである。
所蔵作品上映 鑑賞料金(改定後・2024年4月1日〜)
一般: 520円(旧:430円)
高校・大学生、65歳以上: 310円(旧:260円)
小・中学生: 100円(旧:100円 ※変更なし)
障害者手帳をお持ちの方: 無料(付添者は原則1名まで無料)
キャンパスメンバーズ: 無料
しかし、いろいろな人から、もっと高額になっているという話しを聞きます。塩田さんからも「国立映画アーカイブの新料金、¥310だったシニア料金が、現在¥1100で私も頭を抱えています。」と言われました。
調べると、下記のようになっています。
特別料金(1100円など)
実際に「1100円」になるケースは以下です:
特別企画上映(大型特集・人気監督特集)
権利料が高い作品
デジタル修復版・海外作品の特別上映
他団体との共催イベント
トーク付き上映・イベント上映
(注1=熱海国際映画祭(2018-2019)の多額赤字・運営混乱を巡り、制作会社側が市に預託金返還等を求めた裁判で、2022年2月に市側が勝訴(原告の請求を棄却)しました。第三者委員会は市が運営能力不足の業者を適切に監督・監査できなかった点を指摘し、市長は監督責任を取って給与減給処分となった。)
暉峻創三氏 プロフィール
映画評論家として、キネマ旬報、朝日新聞等に執筆。2002年に東京国際映画祭「アジアの風」部門の選定プロデューサーに任命される。そして2009年より大阪アジアン映画祭のプログラミング・ディレクターを務め本日に至る。
塩田時敏氏 プロフィール
映画評論家。1956年1月1日、札幌出身。白夜書房の雑誌編集者から評論の道へ。邦画、自主映画、ホラーやカルト映画、韓国映画など、埋もれたジャンルから新しい才能を発掘する独自の評論を展開。白夜時代から退社後にかけて、ピンク映画を対象とした“ズームアップ映画祭”の運営にかかわる。また、創立時より“ゆうばり国際ファンタスティック映画祭”プログラミングディレクターとして各国映画祭を回る。近年は映画監督「りりかの星」(2024)としても活動。
【田辺・弁慶映画祭の最新情報】
田辺・弁慶映画祭セレクション<弁セレ>
2026 5/8金~5/28木@テアトル新宿 6/12金~6/18木@テアトル梅田
(第20回コンペ部門作品募集中4/17金~7/17金)
第20回田辺・弁慶映画祭(和歌山県田辺市にて開催) 11/13金.14土.15日

