第8回

映画と書籍の料金の違い

 6月26日、TOHOシネマズ日比谷に、12時15分の回の「急に具合が悪くなる」を見に行ったら、私が、劇場についたのは11時50分くらいだったが、既にチケットは売り切れていた。そこで、ふと疑問に思ったことがある。上映時間196分の「急に具合が悪くなる」と、68分の「君は映画」も、そして製作費1億6,500万ドル(約250億円)といわれる「スター・ウォーズ/マンダロリアン&グローグー」も、普通のスクリーン(IMAX、4DXなどではない)での鑑賞料金は2000円と同額である。

 私は長いあいだ出版社に勤めていたが、書籍の価格は、ページ数、発行部数、本の判型(四六版、新書)などによってそれぞれ異なる。400ページのハードカバーの本と200ページの新書版の本が同価格ということはまずない。
 ところが、映画は3時間の大作も、70分の小品も、そして製作費250億円の超大作、5000万円でインディ作品も、ほぼ同じ料金だ。

 1970年代までは、日本映画は、ほとんどは邦画大手の製作・配給によるブロックブッキング(2本立て)の作品、外国映画はハリウッド日本支社、東和、ヘラルド、富士映画などの配給作品、インディーといえるのはATGやわずかの独立プロ作品で、公開される映画は、だいたい均一だった。

 しかし、最近は、多様な映画が公開されている。何と言っても、前記の上映時間68分の「君は映画」は東宝配給作品だ。ブロックブッキング時代のスプラッシュ(添え物)ではなく、1本立ての映画で68分、鑑賞料金は他と同額である。まさに、出版と同じように多様な作品が公開されるようになった。それなのに、同一価格なのはなぜなのか。

 考えられることは、映画界の産業構造が過去のまま残っていること。

配給=大手映画会社
公開=全国一斉公開 
劇場=邦画 各社の系列でブロックブッキング
   洋画 東宝洋画系、松竹・東急系、etc

という仕組みだった。作品の規模もある程度の幅のなかにあった。

 しかし、現在はまったく違う。

 300スクリーン以上の公開規模で公開されるエンターテインメント作品、30席の劇場の1スクリーンだけで公開されるアート系映画やドキュメンタリーがあり、製作費も宣伝費も100倍以上の差がある。

 ここで、注目したいのは、ODS(ライブビューイング、演劇中継、オペラ、コンサート映像など)は、2,500円、3,500円、4,500円、5,000円など作品ごとに自由に価格設定されている。つまり、「映画館では作品ごとの価格設定はできない」というわけではなく、技術的にも興行的にも可能である。実際にやっている。

では、なぜ映画だけ一律なのか。ここには配給業界の慣行が大きく影響しているのではないか。映画は長い間、「一般料金はいくら」という前提で興行収入ランキングが作られ、配給会社と劇場の契約もその前提で組まれてきた。つまり価格そのものが業界標準として固定化しているわけだ。

もしも映画の鑑賞料金が多様化したら

 それでは、映画の鑑賞料金が書籍のように多様化したらどうなるか。

例えば、
*インディーズ映画:1,200円
*一般映画:2,000円
*超大作IMAX:3,000円
*3時間超の超大作:2,600円
というような価格体系にしたらどうなるか。

 「気になっていた小さな作品を気軽に観てみよう」という需要も生まれるかもしれないし、逆に大作はプレミアム価格でも受け入れられる観客が一定数いるだろう。現在は「価格が一律」だからこそ、観客は「この作品に2,000円払う価値があるか」という二者択一で判断している。小規模作品ほど、その心理的ハードルは高くなるのではないか。

 一方で、「価格差をつけると、安い映画には『価値が低い』という印象が生まれ、高い映画には期待外れだった場合の反発が強まる」という懸念もうまれる。映画は鑑賞前に品質を完全には判断できない「経験財」だから、価格が作品の評価シグナルとして機能してしまう面がある。

 しかし、この懸念も絶対的ではない。書籍、演劇、美術展、ゲームなど、多くの文化産業は価格の違いと作品の価値評価を両立させている。その意味では、現在の映画料金は「合理的だから一律なのではなく、歴史的な慣行が強く残っているため一律である」という説明の方が、現在の市場環境にはより適しているように思う。ODSで作品ごとの価格設定がすでに実現していることは、その慣行が絶対的な制約ではないことを示す、非常に示唆的な例だと言える。

 では、この一律料金は、映画業界にとっては変わったほうがいいのであろうか。一律料金の前提で、映像効果、音響効果を強調した大作は、IMAX、4DX、ドルビーなどの高額料金を設定して攻めることができる。一方、インディペンデントの低予算映画は、一律料金によって鑑賞料金が守られていると考えれば、この料金制度は、大手、インディペンデントの双方にも有効であると言えるのではないか。つまり、強者は高価格で攻めることができる、弱者は一律料金で守られる、これは劇場の立場だけでなく、配給会社にとっても、一律料金は都合のいいことになる。

映画館の一律料金制は「価格競争が起きない市場」を作っている

 実際、一律料金制は「劇場の都合」だけではなく、配給会社全体にとっての一種のセーフティネットとして機能している面があるのでは。ポイントは、「価格競争が起きない市場」を作っていることだ。

もし映画ごとに自由価格制になれば、例えば次のような状況が考えられる。
*超大作:3,000円
*話題作:2,200円
*中規模作品:1,800円
*インディペンデント作品:1,000円
*無名監督作品:800円

 一見すると合理的だが、この市場ではインディペンデント映画は価格競争に巻き込まれる可能性がある。観客は「この映画は1,000円だから、その程度の作品なのかな」と価格を品質の指標として受け取るかもしれない。すると、配給会社はさらに値下げを迫られる。つまり、書籍と違って映画は上映機会が非常に限られているため、価格競争が始まると弱者ほど苦しくなるのだ。
 現在の制度では逆になる。インディペンデント映画も、「この作品は2,000円です」と言える。

観客は価格ではなく、
*映画祭などでの評判
*監督の実績
*テーマ
*口コミ
で判断することになる。

 つまり、一律料金は価格による序列化を防いでいるわけだ。
 一方で、大作はどうするか。ここでIMAXや4DXなどが重要になる。映画そのものの価格は変えず、上映環境だけ価格を変える。これは非常によく考えられた制度である。つまり、作品価格は平等、しかし鑑賞体験はプレミアム化できるという構造である。

例えば、
*通常スクリーン:2,000円
*IMAX:2,800円
*ドルビーシネマ:3,000円
*4DX:3,200円
となれば、大作は追加料金を払ってもらえる。

 インディペンデント映画は通常スクリーン中心でも不利にならない。これは価格競争ではなく、設備競争になっている。

 さらに興味深いのは、この仕組みは配給会社同士の関係も安定させていることだ。もし作品ごとに自由価格制なら、大手配給会社は豊富な宣伝費を背景に「3,000円」のプレミアム価格を設定し、ブランド力を示す一方、小規模配給会社は「1,200円」で対抗する、といった価格競争が起きる。しかし現在は、大手も2,000円、独立系も2,000円という共通の土俵である。競争するのは宣伝 、内容、口コミ、映画祭受賞歴になる。

観客にとっての一律料金制のメリット・デメリット

 では、このような、大手もインディペンデントも守られる一律料金は観客にとってはどうなのか。一律料金には、観客にとって、明らかなメリットがあると考えられる。最大のメリットは、価格を気にせず作品を選べることだ。

例えば映画館で、
*ハリウッド超大作
*日本映画
*ドキュメンタリー
*インディペンデント映画

がすべて同じ料金なら、「何を観るか」は基本的に作品への興味で決まる。少なくとも、価格が作品の価値を示すシグナルにはならない。

 一方で、デメリットもある。たとえば90分の小規模映画を観た後、「これで2,000円は少し高かった」と感じる人は少なくない。逆に3時間の超大作では「これだけ楽しめて2,000円なら安い」と感じる人もいる。

 つまり、観客が感じるコストパフォーマンスと料金が一致しないことが起こる。また、一律料金は「映画を試してみる」という行動のハードルを高くしている面もある。もしインディペンデント映画が1,200円程度なら、「知らない監督だけれど観てみよう」という人は増えるかもしれなが、2,000円なら「配信を待とう」と考える人も出てくるのではないか。

映画産業にとっての一律料金制

 では映画産業にとって一律料金はどうなのだろう。ここは短期と長期で違ってくることが考えられる。

 短期的には、一律料金は安定をもたらす。価格競争が起きないため、

*配給会社は価格を下げずに済む。
*劇場も価格競争に巻き込まれない。
*興行収入の比較もしやすい。

業界全体としては予測可能性が高くなる。

 しかし、長期的には課題がでてくるのではないか。

 現在の映画市場は、劇場だけでなく配信サービスとも競争している。たとえば、月額制の動画配信サービスでは、月に何本でも映画を観られる。その環境で「1本2,000円前後」の劇場料金は、多くの人にとって心理的なハードルになっている。

 その結果、「劇場でしか味わえない作品」だけが選ばれやすくなる。つまり、大作、話題作、イベント性の高い作品に観客が集中しやすくなり、小規模作品は劇場公開されても苦戦する傾向が強まってくる。

「映画館に行く理由」の変化

 さらに重要なのは、映画館の役割そのものが変わってきたことだ。昔は、新作映画を観る唯一の方法が映画館だった。しかし、現在は違う。多くの作品は、数か月待てば配信やレンタルで視聴できる。そのため、観客は「映画を観る」ためではなく、「映画館で観る価値があるか」を判断するようになってきた。

 この変化に対して、業界は設備面ではIMAXやドルビーシネマ、4DXなどで対応してきたが、価格面では従来の一律料金を基本的に維持している。
 私が興味深いと思う点は、映画館は一律価格以外のところでは非常に柔軟ということだ。

*ファーストデー
*学生割引
*シニア割引
*レイトショー
*会員サービス
*プレミアムシート
*IMAXなどの追加料金

 つまり、「人」「時間」「設備」によって価格を変えることは積極的に行っている。
 ところが、「作品」による価格設定だけはほとんど手を付けていない。これは、技術的な制約ではなく、長年の興行慣行や配給との関係、そして「映画は同じ土俵で競うべきだ」という業界の価値観が反映された結果なのではないか。
 ただ、配信との競争が激しくなった現在では、その価値観が将来も最適かどうかは別問題だ。例えば、小規模作品を低価格で提供して新しい観客層を開拓したり、上映期間や需要に応じて価格を調整したりといった選択肢は、産業全体の裾野を広げる可能性がある。
 したがって、一律料金制はこれまで映画産業の安定には寄与してきた一方で、多様な作品が共存し、観客の選択肢も増えた現在の市場環境では、その長所と短所を改めて検討する時期に来ていると言えるのではない。
 話しを冒頭にもどすと、「急に具合が悪くなる」は、今年5月に開催されたカンヌ国際映画祭でW主演のヴィルジニー・エフィラと岡本多緒が女優賞を受賞し、大絶賛された。監督の濱口竜介監督は「ドライブ・マイ・カー」(2021)でアカデミー賞で国際長編映画賞を受賞し、作品賞など計4部門にノミネートされる快挙を成し遂げ、「偶然と想像」(2021)はベルリン国際映画祭にて銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞した実績があり、映画ファンが、濱口監督の新作を見たいという気持ちは極めて高いはずだ。その新作が平均的な映画の倍の上映時間であれば、3000円の鑑賞料金でも、観客動員数は変わらなかったのではと思う。

 ふと思い出したが、坂東玉三郎監督・吉永小百合主演で1992年2月8日に公開された映画「外科室」の当時の鑑賞料金は1,000円だった。本作は泉鏡花の同名小説を映画化したもので、上映時間が50分の中編作品であったことから、従来の長編映画とは異なる「上映時間50分・入場料1000円」という画期的な興行方式がとられ、大きな話題を呼んだ。松竹系の劇場で公開されたのは、プロデューサーの奥山和由が同社で影響力があったからだろう。当時は、この試みは興行の状況から早すぎたと思えるが、今なら、もっと受け入れられるのではないか。

 つまり、均一価格という前提を守りながら、攻められる映画は自由な鑑賞料金に向かうことも考えていいのではと思う。

(参考)再掲