主人公の苦悩が痛いほど伝わる『存在と仮象』

――山科晃一監督は、人間の弱さや繊細さを美しく描くことがモットーであると伺いました。ご自身のどんな経験や思いからでしょうか。

「人のことを見限りたくない」という気持ちがあります。どんな人であったとしても、その人のことを諦めたくない、可能性や魅力は誰にでもある、と思っています。醜い部分があっても、できる限り全肯定していきたい気持ちがあるんです。正しく生きることを目指したとしても、どうしても至らないところがあって完璧ではない。AIとは違う至らなさ、可愛げ、そういうところが私は美しいと思っているので、カメラを通して表現したくて映画を撮っています。

――それは、何かご自身の体験やきっかけがあったのでしょうか。

具体的なきっかけは特にないのですが、もともと私スポーツ畑出身なんです。
中学の3年間は野球で、高校から大学までの7年間は、アメリカンフットボール部です。チームをはじめさまざまな人と関わる中で見えてきたのが、体育会系の人たちってマッチョでガツガツした人が多いんじゃないかと見られがちですが、意外と繊細な人が多かったんです。でも言葉での自分の気持ちの表明が苦手だから、相手とぶつかってコミュニケーションを取るとか、スポーツでそれを代替してる、みたいな。
そういうギャップが面白いなと感じましたし、こういう人だと期待していたのにそうじゃなかった、という「人の多様性」にも接しました。いい意味で裏切られることも含めて、豊かだなと思うようになりました。

――それは興味深いですね。『存在と仮象』について伺います。ストーリーを思いついたきっかけを教えてください。

私の映画は、役者さんとの出会いから始まることが多いんです。主人公の寺山寛人君は、実際に甲子園に出場して、一番バッターで、さらに大学野球で日本一になり社会人まで行った人なんです。
その後映画の世界に入ってきて、映画美学校で知り合いました。私も体育会出身だったので、そこから映画業界に入ってきた身としてすごく話が合ったんです。いろいろと話す中で、彼の野球への向き合い方と私自身の経験をミックスして、ストーリーができあがりました。

――『存在と仮象』というタイトルは、哲学的な印象ですね。

そうですね、『存在と仮象』の意味は英語で訳すと『Being and pretending to be』。そこにいるということと、いるふりをするということですね。

――寺山さんは野球を実際にやっていた方なので、野球をやっていた人の雰囲気がありますよね。役柄では、寺山さん演じる主人公の駿は野球一筋で育ち、お父さんとの関係もイコール野球の上下関係で、そんな彼が「野球をやめる」と言い出す。今までの人生を手放すような決断で、苦悩が痛いほど伝わります。主人公の心の葛藤を、どのように演出しようと思われたんでしょうか。

主人公はスポーツ選手で、どちらかというと身体表現でやってきたから、言葉はそんなに得意じゃない。親にも、言葉で言えていなかったことがある。言えずに積み重なってきたものが彼の中にあるから、彼が沈黙しつつも何か伝えようとするときは彼なりの誠実さで伝えているように演出しました。

短編映画紹介

 『存在と仮象』(ジーンシアターで配信中)視聴はこちらから

ストーリー

企業所属のプロ候補として将来を期待されていた駿(しゅん)は、突然のケガをきっかけに、長く人生を捧げてきた野球へ別れを告げたのであった。
息子に夢を託していた父親は、裏切られたように失望し、駿の考えを跳ね返すばかり。こうして家族からも距離を置かれた彼は、初めて“期待されない自分”として静かに立ち止まる。そんな中、花香(はなか)と名乗る見知らぬ女性が現れ、駿の心に波紋を広げていき――。
これは、他人の理想を生きてきた青年が、自分自身を見つけ出そうともがく再生の物語。

再生の物語『河童になる』

――次は『河童になる』について伺います。『存在と仮象』もそうですが、かつて栄光や何か輝かしいものを手に入れた人が、現在の自分とのギャップに直面して自分を見つめ直す再生の姿が描かれていると感じました。主人公を追い込むというか、あそこまで挫折感を味わせる描き方には、理由があるのでしょうか?

人間は、追い込まれたときに、その人の魅力や本性みたいなところが見えてきます。その人の本質的な部分を見せたいので、追い込むというか困難が立ちはだかる様子を描きますね。

――クニミノブヒコさんがハマり役でしたね。こちらもあて書きでしたか?

あて書きが半分ぐらいですね。クニミさんとは、神戸インディペンデント映画祭で知り合ったのですが、生年月日が全く同じで盛り上がりまして。一緒に映画をつくれたらいいなと思っていたのと、あとは、コロナ禍を経て、「人がそういう大変な時期を経験して再生する物語」を自分の中で構想しており、そのお話に出てもらいたい俳優を考えたらクニミさんが浮かんでできた映画です。

――百瀬葉さん演じるヒロインが、クニミさん演じる主人公に心の傷口を広げるようなセリフもあり、残酷さもありました。

そうですね、物語に機能するセリフというより、このキャラクター、この状況の人物だったら、こんなセリフを言うだろうと考えて書いています。割と直感的に書いていますね。

――そうすると、ストーリーに即して、登場人物の気持ちになってセリフを書かれるイメージなのですね。

そうですね。そうして自然と、物語が立ち上がってくるみたいなやり方が、自分のつくり方だと思います。

短編映画紹介

 『河童になる』(ジーンシアターで配信中)視聴はこちらから

ストーリー

コロナ禍でバーの経営が立ち行かなくなり、実家で母と二人で暮らす篠崎。心機一転、役者を目指すことを決意する。
今日のオーディションの役は「河童」。篠崎は、髪型や服の色まで河童に寄せてオーディションに挑むのであった。
そんなある日、かつてバーで共に働いていたスタッフ・タネと再会する。タネに導かれるまま、意外な場所を訪れる篠崎だったが…。
仕事を失い、何者でもなくなった男が、人との関わりを通して新たな自分を見つけていく姿をコミカルに描いた人間ドラマ

映画を撮るために必要なスキルをしっかり学んだキャリア

――キャリアについて伺います。山科監督が映像に興味を持ったきっかけはどんなことでしたか。

高校の文化祭で映画を作ったときに面白くて、それが映画に興味を持った最初のきっかけですね。映像を学ぶための大学に行きたかったのですが行かれなくて。受かった大学では、全く別の経済学とスポーツに取り組みました。就職のタイミングで、映像に関わりたいと思いテレビ局に入り、映像について学ばせていただきました。その後、自分の作品を撮り始めました。

――テレビ局ではどんな業務をされていたのでしょうか。

主にスイッチャーという業務です。バラエティーや報道、あるいは中継などで画面の切り替えをしたり、カメラマンにこう撮ってほしいと指示して数台のカメラを切り替えていったり、といったポジションの仕事をしていました。

――映画のカット割りなどに役立っているのではないでしょうか。

そうですね、まさにその基礎を学ばせていただきました。もちろん映画とテレビは違うところがありますが、“情報の見せ方”の基礎はそこで学んだと思います。

――その後、東京藝術大学大学院の映像研究科と映画美学校に通われたとのことで、どちらかだけでよいわけではなかったのでしょうか?

先に藝大大学院に入学したのですが、その時に入ったのが撮影・照明領域だったんです。藝大の大学院は、映画の分業制度のように、それしかほぼできない環境になっていて。自分としては、さまざまな技術を学んだ上で、監督として作品を作りたかったので、演出について学び直したいと思い、映画美学校に入学しました。その後本格的に自分の作品をつくり始めました。

――幅広い経験を映画づくりに生かしていらっしゃるんですね。テレビや広告の演出と、映画演出で違いはありますか?

それはもう全く違うものですね。テレビだと情報を伝えることが第一に大切ですし、広告はその商品のイメージアップにつながることが大事。イメージアップにつながるなら、誇張したものでも魅力的に見えればOKみたいなところがある。映画はフィクションだけど、その中の真実みたいなものを描いていかなきゃいけないし、情報を伝えるだけじゃなくて人物の感情とか、あらゆる複雑なものを捉えていかなければならない。高度な映像制作だと思います。

映画はもっと自由でいいんです

――数多くの映画祭で受賞されていますが、受賞して感じたことはありますか?

公式的なものに乗れたような、世間に認めていただいて、受け入れてもらえたような嬉しい気持ちになりました。

――今は、長編映画にもチャレンジされていますね。

長編『傷みの実感』は、撮り終わって映画祭に応募も終わりまして、第3回山国映画祭のコンペティション部門で選出していただきました!ほかの映画祭はまたこれから結果待ちです。

――初の長編映画で受賞、素晴らしいですね。好きな監督、参考にしている映画監督がいらっしゃいましたら、教えてください。

ジャン=リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』という映画を観て、なんて自由なんだ、と衝撃を受けました。そこからフランス映画をちょいちょい観に行って、エリック・ロメール、そのドイツのニュー・ジャーマン・シネマあたりも好きで、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーとか、ヴィム・ヴェンダースですね。

――ゴダールの『気狂いピエロ』は、神戸の映画館で繰り返し観たと伺った記憶があります。衝撃的ですよね。

神戸の商店街に元町映画館という小さな映画館があり、テレビ局時代にふらっと入った時に、『気狂いピエロ』と『勝手にしやがれ』の2本立て上映みたいなのを上映していました。それを観て衝撃を受けましたね。

――衝撃とは、自由さみたいえなところですか。映画って、こんなに自由でいいんだ、みたいな。

そうですね。テレビ局勤務時代だったのもあり、まさに情報というものから解き放たれていると感じました。

――衝撃的なラストですしね。他にも好きな映画があれば教えてください。

たくさんありますが、最近では『ブンミおじさんの森』(監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン)ですね。カンヌでパルムドールを受賞した作品で、幽霊が自然に出てきて、人も自然と受け入れている。驚いたりせずに、幽霊と普通にしゃべる、みたいな。いろいろな境界が取っ払われたような映画です。

新しいやり方での映画づくりを常に意識

――自主映画について伺います。自主映画で作ると、どうしてもマネタイズのところが弱く、お金が戻ってこないところも多いかと思うのですが、それでもやっぱり映画をつくっていきたいという気持ちは、どういうところから来ているのでしょうか。

人間の複雑さみたいなものは、ずっと描きたいと思っています。消費しやすければしやすい内容ほど、観客がついてくるのですが、そういうものよりかはもっと人間の本質に迫るような映画を志向しているので、映画を続けていきたいです。自主映画をだいたい30本ぐらい撮ってきましたが、これからも撮っていきます。

ただ、映画産業という従来の産業の中ではうまくいかないものも、新しい構造で、あるいは新しい工程を経て映画がつくられていくようなシステムも考えていきたいなと思っているんです。クラウドファンディングなども含めてですが、新しい映画のつくり方に常にアンテナを立てて、映画制作を続けていきたいと思っています。

――私も全く同感で、新しいスタイルを模索し、GeneTheaterでの配信に加えて劇場での配給にも取り組んでいるんです。自主映画の自由度が高いことを活かして、映画館にも利益が出るように、どんどん新しいことに挑戦しています。自主映画の未来像を、どんな風に考えられているか教えてください。

商業とインディーズの境はなくなっていくと思っているし、映画というものにそこまでコストが必要ではなくなってくる未来も想定しています。それは機材の簡略化や、人員もそんなに多くなくても撮れるし、機材、それこそカメラもスマホでもいい画が撮れるようになってきていますし。AIが使うかどうかはさておき、AIもかなりの精度に到達してきていて。大きなバジェットをかけて撮る商業映画と、小さなバジェットで撮るインディーズのクオリティの差が、もうほぼ、インディーズの映画祭で感じますが、商業レベルのポリシーを取ってきているというのが最近よくありますね。

――今後どんな活動をしていきたいでしょうか。

今、次の長編を企画しているんですが、カンヌを目指しています。三大国際映画祭は常に意識して、視野に入れていきたいと思っています。

――日本人が三大国際映画祭はおろか、アカデミー賞も受賞できる環境に世の中になってきていますから。ぜひ山科監督にはカンヌをとってもらいたいと思っています。

ありがとうございます。

Profile
山科晃一
1991年兵庫県神戸市生まれ。 人間の弱さや繊細さを美しく描くことをモットーに作品制作を持続しています。

プロフィール詳細はこちら

この映画監督の作品

インタビュアー
井村哲郎

以前編集長をしていた東急沿線のフリーマガジン「SALUS」(毎月25万部発行)で、三谷幸喜、大林宣彦、堤幸彦など30名を超える映画監督に単独インタビュー。その他、テレビ番組案内誌やビデオ作品などでも俳優や文化人、経営者、一般人などを合わせると数百人にインタビューを行う。

自身も映像プロデューサー、ディレクターであることから視聴者目線に加えて制作者としての視点と切り口での質問を得意とする。