女子中学生の心の機微を描いた『怪獣少女』

――映画『怪獣少女』についてお伺いします。まず、タイトルからして非常にユニークで、怪獣と女子中学生という組み合わせが印象的ですが、この組み合わせの発想はどのように生まれたのでしょうか?

もともとこの映画は、音楽プロデューサーのつんく♂さんが手掛けるプロジェクトの一環で「中学2年生をテーマにした映画をつくる」という企画でつくりました。
「中2らしさ」とは何かを考えたときに、根拠のない自信や不安、大人になる直前の独特な想像の世界が浮かびました。そこで、そのイメージに結びつくものを探していたら、怪獣というモチーフが出てきたんです。
また、作品のタイトルを決める時は、2つの意味を持たせることを心がけています。『怪獣少女』では「怪獣に憑りつかれた女の子ミヅキ」と、「将来に悩むヒミカが自分の壁を怪獣のように壊して進み、怪獣少女へと成長を遂げる」の2つの意味があります。

坂部敬史監督

――怪獣といえば、少年向けのイメージが強いですが、今回は少女が主人公という点が新鮮でした。

そうですね。実際、この話は少年が主人公でも成立したかもしれません。ただ、これまでの怪獣映画を振り返ると、例えば”平成ガメラ3部作”でも、少女と怪獣の関係が描かれています。昔から「神の世界と繋がる存在」として女性が登場することも多かったんですよね。その流れを考えたときに、少女が主人公の方がしっくりくると感じました。
「怪獣」は、地震やコロナなどのような、自分たちの生活でコントロールしきれないもの、でもそれと一緒に生活せざるを得ないもののメタファーでもあります。

――ストーリーの中で、主人公の少女たちの心理描写が非常にリアルでした。中学生の心情を描くために、どのようなリサーチをされたのでしょうか?

この点はかなり力を入れて調べました。僕自身、もう中学生からするとずいぶん年上なので、リアルな気持ちが分からないだろうなという意識がありました。だからこそ、中学生が観ても「自分たちの気持ちと繋がれる作品」にしたかったんです。
そこで、キャスティングが決まった4人の女の子に個別インタビューを行いました。彼女たちが「今、不安に感じていること」「考えていること」を細かく聞いて、それを脚本に反映させていきました。できる限り彼女たち自身が共感できるものにしたかったんです。
プロットを書いた段階では想像で描いていましたが、実際に中学生の話を聞いてみると、自分の想像とはかなり違っていました。

短編映画紹介

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ストーリー

東京で巨大生物が出現し、東京湾に姿を消した。そんなニュースが流れるある町で、 中学生のヒミカは自分の町を巨大怪獣が襲う夢を見る。クラスメイトのユミとアヤノの3人で学校に来なくなってしまったミヅキを訪ねるヒミカ。ミヅキは怪獣にとりつかれ、山奥のアトリエでひたすら怪獣の模型を作り続けていて、「怪獣少女」と呼ばれていた。ミヅキがヒミカと同じ夢を見ていたことから2人の間に交流が始まるが、ヒミカはミヅキの作った怪獣模型の角を間違って折ってしまったことを言い出せずにいた。 怪獣という非日常の中で日常を生きる少女たちの心の機微を瑞々しく描いた作品。

――主人公のヒミカが、怪獣の造形をつくるミヅキに惹かれていく過程が印象的でした。彼女はどんな心理状態だったのでしょうか?

ヒミカは「何をしていいかわからない」「進路に悩んでいる」女の子です。僕自身も中学時代に「急に進路の話が出てくるけど、何も考えてこなかったから決められない」という経験がありました。
そんな中で、対照的に「怪獣の造形師になりたい」とはっきり夢を持っているミヅキに出会い、強く惹かれていく。そこには、単なる興味以上に「自分にないものを持っている人への憧れ」があったのだと思います。

――怪獣の登場シーンもとても印象的でした。予算の制約がある中で、どのような工夫をされたのでしょうか?

当初は、怪獣自体を映さずに、リアクションや環境の変化だけで表現する予定でした。しかし、脚本の共同執筆者が「パペットをつくれる」と言ってくれたんです。
そこで、パペットを使って撮影することになりましたが、僕たちは特撮の経験がなかったので、どうすればリアルに見えるかを研究しました。結果として、ダムの景観と組み合わせ、頭だけを映すことで、下半身の合成の手間を省くなどの演出を決めていきました。
一瞬フラッシュが光るシーンで、全身のシルエットを合成することで、観客に「体がある」と錯覚させる工夫をしました。

『怪獣処女』のワンシーン

――雨の演出も効果的でしたね。あれは意図的だったのですか?

実は、撮影時にたまたま雨が降っていたんです。それを見て、リドリー・スコット監督が『ブレードランナー』で、ロサンゼルスの未来都市をリアルに見せるために雨を降らせた、という制作秘話を思い出しました。
そこで、雨が現実感を増す効果があると考え、雨の中で撮影しました。

――キャラクターのつくり込みについてもお伺いしたいです。どのように設計されているのでしょうか?

僕はプログラマー出身なので、キャラクター設計もプログラム的に考えることが多いんです。「このキャラクターがこう動いたら、こういう反応をするはず」という組み合わせを考えるのが好きなんです。
キャラクターシートを作る際は、単に「好きな食べ物」とかではなく、「何をされると喜ぶか」「何をされると嫌か」といった、感情のスイッチを明確にしています。そうすることで、キャラクター同士の掛け合いが自然に生まれるんです。

『怪獣少女』のワンシーン

――役者さんへの演出はどのようにされたのですか?

普段は、キャラクターやストーリーの目的をお互いに確認することに時間をかけます。リハーサルの時間があればもちろん活用しますが、優先順位としては、まず「このキャラクターはどんな人物なのか」「このシーンは何のためにあるのか」を話し合うことが大切だと思っています。その理解が深まれば、あとは役者さんにある程度お任せするスタンスですね。

――今回のキャストは俳優経験が少ない方々だったとのことですが、普段と違うアプローチをされたのでしょうか?

そうなんです。今回はほぼ新人のキャストだったので、通常の方法が通じない部分もありました。そこで参考にしたのが、クロエ・ジャオ監督の作品『ノマドランド』や『ザ・ライダー』でした。特に『ザ・ライダー』は、実際に事故に遭ったカウボーイ本人とその家族をキャストに起用していて、リアリティのある演技を引き出していました。

――ミヅキ役の宮原俐々帆さんは素晴らしい演技をされていましたね。彼女をキャスティングした理由は何だったのでしょうか?

オーディションでは、約200人のテープを見ました。その中で最初に「この子がいいかも」と思ったのが宮原さんでした。彼女の存在感が凄いと感じました。見た瞬間に「この子は何か持っているな」と思ったんです。演技は経験を積めば上達するけれど、その人が持っている空気感や魅力は生まれ持ったものなので、そういう部分を重視してキャスティングしました。

ホラーテイストの『Chained』について

――『Chained』について伺います。ホラーテイストですが、三者三様の人間ドラマですね。坂部監督はどのジャンルの映画をつくっているという意識でしたか?

僕の中では、コメディをつくっているつもりでした。

――コメディですか?

はい。海外ではドラマとコメディを組み合わせて「ドラメディ(dramedy)」というジャンルがあります。コメディの要素がありつつ、最終的にはドラマになるような作品です。それがすごく好きなんです。

――日本で言うと、三谷幸喜さんの作品のような?

そうですね。三谷幸喜さんもコメディ寄りですが、最後には真剣なドラマになっていく作風ですよね。僕のスタイルもそれに近い部分があるかもしれません。『Chained』のように、気がついたらシリアスなドラマになっているというのが、自分が好きなスタイルですね。
ホラーは苦手なので、本格的なホラーはつくれないんです。怖くてつくれないというのが正直なところですね。

――認知症の母親、息子、成仏できない幽霊という3人のキャラクターがそれぞれ哀愁ややりきれなさを感じさせる部分があり、観る人を惹きつける要素になっていると思います。3人に役を演じてもらうにあたって、どのように演出したのですか?

キャラクターシートを綿密につくり込みました。当時はコロナ禍だったので、Zoomでの打ち合わせを重ね、キャラクターの背景を細かくすり合わせました。ただ、僕の考えを押し付けるのではなく、役者が共感できる部分や違和感のある部分を話し合いながら、役づくりを進めていきました。

短編映画紹介

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ストーリー

夫には先立たれ、自身も高齢となったサヨコは、いつからか認知症を発症。同居する息子・マコトでさえ、誰なのか分からなくなっていた。――ある日のこと。自宅に一人きりだったサヨコに、暗い影が忍び寄ろうとしていた。
青白い顔に表情を覆い隠すほど乱れた髪……生気が感じられない“ソレ”は容赦なく彼女に襲い掛かろうとする。しかし次の瞬間、サヨコは予想外の行動に出るのであった……!

――映画制作のプロセスで特に重点を置いているのは何でしょうか?

脚本に一番時間と労力をかけています。この作品は認知症をテーマにした映画祭に向けて制作したため、スケジュールには限りがありましたが、ストーリーづくりには可能な限り時間をかけました。海外の映画学校で学んだことなのですが、「良い脚本から駄作の映画は生まれることがあっても、駄目な脚本から名作は生まれない」という言葉があるんです。つまり、良い脚本からは名作も駄作も生まれるけれど、駄目な脚本からは駄作しか生まれない。この言葉を今も大切にしています。

――ホラーテイストから始まり、映像のトーンについてですが、暗い映像からラストで明るくなる演出が印象的でした。ライティングにこだわりはありましたか?

実は、あの作品はコロナ禍で小規模に撮影したため、大掛かりなライティングは使っていません。自然光を生かしつつ、意図的に暗くすることで雰囲気をつくりました。昼間のシーンでも、黒いビニール袋で窓を覆って暗い空間をつくり出しました。
暗いところからラストの明るくなるところは意識して演出しました。

――この作品の演出で特にこだわった部分は?

オープニングをホラー風に見せることにはこだわりました。僕はホラーが苦手ですが、映像的なチャレンジとして取り組みました。カメラ的な怖さの演出も意識しましたね。
また、『Chained』のタイトルは「繋がれた、囚われた」という意味です。帰ってこない息子に縛られた母親、認識してもらえず徘徊しないようにドアを鎖で縛るしかない息子、未練が残って家に繋がれた地縛霊の少女。この3人が、人の繋がりという「Chain」に繋がる、ということを意識しています。

『Chained』のワンシーン

――坂部監督はホラー映画としても相当怖い作品をつくれるのではないかと思っています。

ありがとうございます。本格的なホラーはやはり苦手ですが、実は一度FODの深夜ドラマ『憑きそい』という漫画原作の作品で監督を担当しました。これは本当のホラーで、撮影中も怖くて涙を流しながらつくっていました(笑)。

坂部監督のキャリアについて

――坂部監督が映像に興味を持ったのは、高校の文化祭で制作した作品がきっかけだそうですね。

はい。高校のバスケ部を題材にしたコメディ作品で、試合当日に選手たちが寝坊し、学校へ向かうまでのドタバタを描きました。上映したときに大絶賛され、みんなで一緒に映画をつくり上げていくことに楽しさを感じて、それが映像制作の楽しさを知るきっかけになりました。

――ただ、その後は映像の道ではなく、プログラマーになられた。

学生の時はあまり日本の映画を観ていなかったので、映画が自分のキャリアにつながっていくという意識はありませんでした。当時はインターネットの可能性に魅力を感じていて、映画よりもそちらに興味が移っていました。ちょうどGoogleやYouTubeが急成長していた時期だったので、インターネットの世界に可能性を感じていました。

――2011年の東日本大震災がきっかけで、映像の道へ進むことを決意されたのですね。

東日本大震災の時は西新宿の31階のオフィスでプログラミングをしていたのですが、地震でビルが船のように大きく揺れ、「ここで死ぬのか」と思いました。人って80、90歳まで生きることを前提で生活していると思うのです。震災が確か金曜日だったと思うのですが、月曜日に出社する時に、3月11日の地震が余震か本震かわからない状況で「命より大事な仕事ってあるのかな」と疑問に感じました。出社しようとしたら、電車も動いていないので出社しなくていいとの連絡が会社からありました。
家で『アイ・アム・サム』(監督:ジェシー・ネルソン)を観ていて、命をかけてもやりたい仕事とは何かを考え、映画をやろうと決意しました。

――それで会社を辞め、ロサンゼルスの映画学校へ?

はい。準備に2年かかりましたが、渡米して本格的に映画を学びました。

――アメリカで学んだことの中で、今でも生きていることは?

向こうでは監督として独り立ちできるよう、実践的なカリキュラムがありました。現場での対応力やストーリーづくりの基礎は、今も大きく影響を受けていると感じます。
脚本の勉強はもちろん、役者の演出、カメラのアングル、編集、録音、照明など、映画制作のあらゆる工程を学びました。中でも一番勉強になったのは、ストーリーのつくり方と、チームでのコミュニケーションですね。撮影は大所帯で進めるので、異なるバックグラウンドを持つ人々をまとめ、ビジョンを達成する力が求められます。

――英語は最初から話せたのですか?

ある程度はできました。旅行程度なら問題なかったですが、ネイティブの環境では最初の3ヶ月は会話についていくのに精一杯でした。自分から発信することはほとんどできなかったですね。

アメリカと日本の映画制作の違いについて

――卒業後もアメリカで1年映像の仕事をされてから日本に帰国したのですね。

日本に帰国後、本格的に映像制作の仕事をスタートしました。その後、井筒和幸監督のもとで映画に関わるようになりました。

――アメリカの制作現場と、日本の制作現場では違いを感じましたか?

アメリカでは1日の撮影時間が12時間以内と厳格に決まっていて、それを超えると残業代が膨らむので、1日の撮影は絶対に12時間以内に終わるんです。日本に戻って最初の現場では撮影スケジュールが13時間になっていて、プロデューサーに「これ13時間になっていますよ」と聞いたら、「うん、そうだね」と普通に返されて驚きました。

――国内外の映画祭で受賞されていますが、印象に残った映画祭はありますか?

ダマー国際映画祭は海外からの作品も多く、また毎回ハリウッドから豪華ゲストが来るのがファンとしてはたまらない映画祭です。神戸インディペンデント映画祭は1日目に交流会があり、クリエイター同士の繋がりが生まれ、つくり手を大切にしてくれる映画祭だと感じました。山形国際ムービーフェスティバルは交通費や宿泊費を出していただけるなど、手厚いサポートがあります。映画祭は基本的に自費参加が多い中、しっかりとつくり手を尊重してくれるのが印象的でした。ショートショートフィルムフェスティバル&アジアは作品のレベルが高く、観客としても楽しい映画祭でした。

好きな映画監督について

――好きな映画監督や参考にしている監督はいますか?

僕は『スター・ウォーズ』(監督:ジョージ・ルーカス)が大好きで、そこから映画に入りました。
作品としてはタイカ・ワイティティ監督の『ジョジョ・ラビット』が特に好きですね。彼の作品はコメディをベースにしながら、悲しみを内包している点が魅力です。笑わせながらも、グサッと刺さるようなメッセージがある。自分もそういう作品をつくりたいと思っています。

――好きな映画は何でしょうか?

『ジョジョ・ラビット』のほかは『スイス・アーミー・マン』も好きです。ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートの2人組のダニエルズ監督の作品で、ふざけたコメディながらも深いテーマが込められています。

――日本の監督はいかがでしょうか?

岩井俊二監督が好きです。『花とアリス』は特に影響を受けました。あと、相米慎二監督の作品も素晴らしいですね。
濱口竜介監督の作品はコメディではありませんが、不思議な魅力があります。『ハッピーアワー』も5時間の作品ですが、なぜか飽きずに観られる。すごいと思います。

インディーズ映画と収益化について

――インディーズ映画は収益化が難しいですが、それでもつくり続けるモチベーションはどこにあるのでしょうか?

もちろん収益があるに越したことはないですが、お金のために映画をつくっているわけではありません。映画を通じて世界を少しでも良くしたいという思いがあります。

――観客に何を伝えたいと考えていますか?

映画を観た人が少しでもいい気持ちになれるようにしたいですね。また、人の心の動きに興味があるので、それを映画を通して探求したいという気持ちもあります。

――映画をつくる上で、一番大きな興味は何ですか?

実験的な要素や、人の心を解き明かしたいという気持ちが根本にあります。測れないものを探求するという感覚に近いかもしれません。どうやったら人の心が動くのか、何が感情を揺さぶるのかを知りたいという研究者的な視点で映画に向き合っています。

――哲学的な視点を持たれているんですね。では、インディーズ映画や商業映画の未来についてはどのように考えていますか?

商業映画は収益化を前提にしなければならないため、どうしても制約が出てきます。一方で、インディーズ映画は商業的でなくともチャレンジできる分野が多いと思います。例えば、細かいテーマや尖った内容に取り組めるのがインディーズ映画の強みです。

――世界的に見ても、インディーズ映画の存在感は増してきていますよね。

はい。大手スタジオだけでなく、インディーズ映画が活躍できる場が増えてきました。配信サービスの普及により、映画館に行かなくても作品を観られる環境が整ってきています。そのため、これからさらにインディーズ映画が台頭していくのではないかと感じています。ただし、マネタイズの課題は依然として残っています。

――今後の目標や夢について教えてください。

これまで短編映画をつくってきましたが、現在は長編映画の制作を進めています。海外の国際共同開発を視野に入れ、この1年間は粛々と準備を進めています。

――海外から資金を集める形になるのでしょうか?

そうですね。海外の映画祭では企画コンペのようなプログラムがあり、そこに選ばれると海外のプロデューサーに興味を持ってもらうことができます。資金調達から配給まで繋がる仕組みがあり、ありがたいことに昨年1つの企画がそのプログラムに選ばれたんです。

――それは楽しみですね!本日はありがとうございました。

ありがとうございました。

Profile
坂部敬史
東京都出身。幼少よりゴジラやスターウォーズなどを始め、映画を見て育つ。高校の文化祭用に作成した45分の作品で映画製作の楽しさを知り、以後、大学などで映画やイベント用プロモーション映像などの製作を手がける。インターネットに可能性を感じプログラマーとなるが東日本大震災で死を覚悟した際、本当にやりたいことをやろうと決意。2013年、渡米。ニューヨーク、ロサンゼルスのフィルムスクールにて映画製作を学ぶ。卒業後、監督、撮影監督としてのキャリアをスタートし、数々のプロジェクトに参加。 牛丼が好き。

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この映画監督の作品

インタビュアー
井村哲郎

以前編集長をしていた東急沿線のフリーマガジン「SALUS」(毎月25万部発行)で、三谷幸喜、大林宣彦、堤幸彦など30名を超える映画監督に単独インタビュー。その他、テレビ番組案内誌やビデオ作品などでも俳優や文化人、経営者、一般人などを合わせると数百人にインタビューを行う。

自身も映像プロデューサー、ディレクターであることから視聴者目線に加えて制作者としての視点と切り口での質問を得意とする。