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第 6 回

『映画の街・北九州』監督から見た小倉昭和館

『映画の街・北九州』監督から見た小倉昭和館

コロナ禍の真っ只中だった2021年、『映画の街・北九州』はテレビ西日本が企画したドラマとして公開された。その後、ドラマを再編成した短編映画版が公開されると、「ソウル・ヨンドンポ超短編国際映画祭」の国際短編部門で「審査員特別賞」を受賞、アジア最大級の短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2021」ジャパン部門の上映作品に選ばれるなど、話題を呼んだ。

この作品の舞台が、2022年8月に焼失した老舗映画館「小倉昭和館」だ。奇しくも、失われる前の姿が細部まで映し出されている、貴重な作品となった。

この作品でメガホンを握ったのが、多くの映画作品に制作やプロデューサーとして関わり、これが初監督作品となった映像作家の本田克哉さん。今回は、小倉昭和館を自身の「原点」と話す本田さんに、撮影エピソードや同館の焼失、そして再建することへの思いなどを伺った。

本田克哉監督

昔通った映画館の思い出に重なる懐かしさ

『映画の街・北九州』は、北九州市とテレビ西日本がタッグを組んで制作された。作品には、コロナ禍で失われていた「映画館で映画を観る楽しみ」や、「エキストラなどで参加して映画を一緒に作る楽しみ」をもう一度市民と共有したいという思いが込められた。小倉昭和館の館主・樋口智巳(ひぐちともみ)さんをイメージした主人公は、北九州市出身の名優・光石研さんが好演している。

本田さんはもともとプロデューサーとしてこの作品に参加する予定だったという。ただ、たったの1日で撮影しなければならなかったことなど、さまざまな条件が重なり、急遽初監督を務めることになった。

『映画の街・北九州』のワンシーン

北九州の大学に通っていた本田さんにとって小倉昭和館のあるエリアは、北九州の中でも一番の繁華街で、たまに遊びに行ったりする場所というイメージ。自身は小倉昭和館に映画を観に行ったことはなかったが、旦過(たんが)市場周辺は昭和の香りのする良い雰囲気の街だと感じていたそう。映画のロケハンで、小倉昭和館を改めて見た時も懐かしさを感じたと話す。

「もともと特別に映画っ子というほどではありませんでしたが、昭和生まれ昭和育ちなので、映画館にはよく行っていましたから、小倉昭和館はすごく懐かしい感じを受けました。例えば椅子とか、扉とか、劇場の空気全体が、自分が昔行っていた映画館を思い出させるような。懐かしさがすごく強かったですね」

切り取ったのは小倉昭和館を愛した人たちの姿

本田さんに館主・樋口さんの印象を尋ねると、「優しさの中にある凛とした強さを感じさせる方」と話す。

「樋口さんとはロケハンなどで少し話す機会があったのですが、優しい雰囲気なのにどこか凛としているというか、非常に腹が座った強さのようなものを感じました。コロナ禍や焼失後の対応、いろいろな企画を拝見していると、映画をたくさんの方に見せるのが大好きな人なんだと思うんです。相当苦しい時もあったと思いますが、喜んでくれる人の顔を見るのが好きで…人に対する温かみと同時に、揺るぎないものも感じました」

そう話す本田さんが『映画の街・北九州』で切り取ったのは、小倉昭和館を愛した人たちの笑顔だ。大切にしたのは、同館を愛している人たちの描き方だったという。

『映画の街・北九州』のワンシーン

「小倉昭和館の佇まい自体は、映像に切り取れば間違いなく残せるものだと思っていたので、演出として、その映画館を支える人…主演の光石研さんはもちろんですが、それ以上に劇場に足を運ぶ人のワクワク感や、この映画館が大好きなんだという表情や言葉が切り取れれば良いなと思っていました」

撮影条件の厳しいコロナ禍でも残したかったもの

10 分程度の短編作品とはいえ、撮影に許された時間が1日とは、控えめにいってもとても短い。短時間で撮影を完了させるという点において、本田さんがドラマや映像の制作部時代に積んだ経験が大いに役に立った。ロケ地は基本的に徒歩で移動できる範囲に限定。本田さんは事前に1人でロケ地を周り、綿密に撮影スケジュールをシミュレーションしたという。万全の準備で撮影に臨んだが、初監督に加えて非常にタイトなスケジュールに対するプレッシャーで、本田さんは初めて撮影前日に眠れない夜を過ごした。

「1日で撮り切らないといけないし、出演してくれる子どもたちの時間制限もある。目を閉じてもシナリオやカット割りなどのことが浮かんできて、全く眠れませんでした。コロナ禍を舞台にした作品ですが、撮影自体もコロナ禍でしたから、どこまでマスクを外して会話をさせるのかという悩みもありました。お芝居は当然目の表情も大事ですが、口が隠れるだけで、表情が全く見えなかったりするんです。現場でその都度判断して、マスクを外す、付けるという動きも大切に撮影しました」

『映画の街・北九州』のワンシーン

コロナ禍での撮影を可能にするため、非常にたくさんの協議をしたと話す本田さん。撮影当日は撮影サイドのコンプライアンスに加え、全面協力の北九州フィルム・コミッションのコンプライアンスも遵守した。映画館がお客さんで満員になるシーンでは、エキストラの導線を一方通行に限定し、3回に分けて撮影。館内を3分割し、その後の編集で合成し満員をつくり出したそう。

小倉昭和館は映画に関わる自分の「原点」

焼失の第一報をニュースで知り、茫然となったという本田さん。翌日、息子さんに支えられてコメントする樋口さんの映像を目の当たりにして、涙が止まらなかったと当時を振り返ると、「今思い出してもグッとくる」と言葉に詰まった。

「僕も正直、もうダメなのかなと思っていたので、クラウドファンティングが立ち上がった時はほっとしました。何より、街の人が再建を望んだのが大きかったのではないでしょうか。昔から小倉昭和館に通って、映画を見た方が北九州にはたくさんいて、そういう方たちの一人ひとりが、もう一度あそこで映画を見たいと思った。その思いが、再建につながったんだと思います」

「小倉昭和館が焼失したことへの思いを言葉に出来たことが、今感慨深いです」と話す本田さん。本田さんにとっての小倉昭和館は?と尋ねると「原点のような場所」という答えが返って来た。

「もともと、非常に懐かしさの残る温かい場所という印象でしたが、この映画のおかげでいろんなところに連れていってもらえましたし、さまざまな経験をさせてもらえました。この作品に感謝すると同時に、何より、小倉昭和館に感謝しています」

『映画の街・北九州』のワンシーン

小倉昭和館が再建した暁には、今度こそ、上映される映画を見てみたいと話す本田さん。この作品をきっかけに、自分でも映画を撮りたいという気持ちが芽生え、企画書をつくったりしていると笑顔で教えてくれた。驚くべきスピードで再建への道を突き進んだ小倉昭和館は、2023年12 月に再オープンを控えている。いつの日か、生まれ変わった同館を舞台に、『映画の街・北九州』の続編が撮影される日が来るかもしれない。

最新情報は 小倉昭和館のホームページ から

小倉昭和館 館主

樋口 智巳さん

1960年北九州市小倉に映画館の娘として生まれる。青山学院女子短期大学卒業後、JR関連、講座イベント企画の仕事に従事し、その後小倉昭和館創業70年を機に家業に戻り三代目館主となる。デジタル上映は元より「高倉健特集」を始めとした35mmフィルムの上映も存続。映画監督・俳優・作家・スポーツ選手などを招いてのトークイベントや生演奏・合唱、オールナイト上映なども行っていた。また地元企業や行政などとの連携イベントにも積極的に取り組んでおり、映画館を貸館として各団体や企業などに開放することも進めていた。創業83年を前に2022年8月の旦過地区大火災で焼失するが、現在2023年12月再開を目標に元の場所での再建に励んでいる。

小倉昭和館 館主 樋口 智巳 さん

小倉昭和館が舞台となっている『映画の街・北九州』は、下の画像をクリックしてご覧になれます

映画の街・北九州
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