谷口慈彦監督の、初の劇場公開作品

 

――『嬉々な生活』 、素晴らしい作品でした。お母さんが急死し、お父さんの心が壊れかけている中学生の長女が前向きに生きていくというお話ですが、私自身もこの作品から非常に元気づけられ、勇気をもらいました。この物語をつくるきっかけはどのようなものでしょうか?

 完全に僕の自主映画として企画して制作した作品です。主人公の“嬉々(キキ)”という中学生の女の子が、つらい環境であってもたくましく日々を生きる。ちょっと特殊な環境にいる中学生が奮闘する物語をつくりたい、と考えたのがきっかけです。「ヤングケアラーを取り扱った映画」とジャンル付けされることもあるのですが、最初からそう考えていたのではなくて。まずは中学生の物語があって、周囲の人物を設定していく中で、結果的にそのようなストーリーになったということなんです。

 ――なぜ中学生の女の子をメインにしようと考えたのでしょうか。

 最初は女子で、とは考えてはいなくて、中学生の物語をつくりたかったのです。中学生は大人でもなく子どもでもない、中間的な時期だなぁ、と。大人が思うほど子どもでもないし、かといって、その大人のような決断や行動力があるかというとそこまでではない。そんな未熟な状況の時に経験したことや出会った人物がこの先の人生を左右する、一番多感な時期かな、ととらえていたので。高校生よりも小学生よりは「中学生」、と考えていました。

谷口慈彦監督

 ――私がこの映画を観たときに、カメラの距離感が非常に印象的でした。というのは、「寄り」のカットは少なく、どちらかというと「引き」が多くて、“嬉々のドキュメンタリー”を見ているようだと感じたのです。あえてそういうような「引いてみせる」意識はされていましたか。

 そうなんです。絶対「引きじゃないとダメ」とか「寄りは撮らない」とか決めていたわけではないのですが、ちょっと不遇な環境の中学生や家庭を描くときに、あまり主観になりすぎないというか、できるだけ客観で描きたいという思いがどうしてもあって。客観でいくとカメラはどんどん引いていくっていうか。よく言われるのは「寄ると悲劇になるけれど、引くと喜劇になる」。その意識はすごくありました。

 引けるなら引きがいいな、と。例えばこの部屋の中では引くにも限界はあるものの、一番の引きはどの絵かを最初にカメラマンに確認していました。それが中途半端であれば、逆に寄るシーンに変えてみるなど、意識はしていましたね。

 ――俳優さんがしゃべるシーンに、横顔や後ろ姿が多いと感じました。通常、俳優さんがセリフを言うときは正面の顔が映ることが多いと思うのですが、横顔や後ろ姿が多く印象的でした。このあたりも意識されていたのでしょうか。

 そこまでは意識はしていなかったですが、趣味の問題かもしれないです。編集を一緒にやってくれた仲間には「ちょっと後ろ姿、バックショットが多すぎない?」と指摘されましたね。一番大事な話をしている時にめっちゃ引きたくなるというか、後ろに回りたくなるんですよ。話をしている時の表情をあまり見せずに進行していく、こういうのをやりたくなってしまう癖があるかもしれないです。

 

嬉々役を見事に演じ切った西口千百合さん

 

――美学ですね。また、嬉々役の西口千百合さんの演技は、すごく素晴らしかったと思いまして。観終わった後は、嬉々役は西口さんしかいないとまで思えたのですが、西口さんの起用はオーディションで決まったのでしょうか。

 彼女が所属しているプロダクションの演技講師を僕がやってて、もう6~7年ぐらいやっていますが、その受講生だったんです。最初に彼女を見たときは、小学5年~6年くらいでしたが、しばらくしたら、もう中学校2~3年生になっていて、気になる子ではあったんですよね。
最初にこの台本を書いたときに、ちょっとだけ意識はしていて、この役は彼女っぽいなぁと思ってたんですよ。知らず知らず、当て書きしていたかもしれないです。そんな中事務所の中でオーディションをやったんですよ。そこでやはり西口さんかな、と確信しました。

 ――むしろ納得しました。一番初めの縦型画面のハッピーバースデーのシーンでは、彼女のお顔にニキビがあった気がするんですよ。それが、横型になったらニキビがなくなっていたので、ニキビをメイクで隠したのか、それともう撮影に間があいたのでしょうか。

 メイクさんのアドバイスがありました。ちょうど一番ニキビが出る時期で、これはこれで活かしたいと思っていました。ただ 、 現在軸と差をつけたいなと思ったので、、メイクさんに相談して、髪で隠れる部分もあるから過去パートと現在パートで差をつけられますよ、と言ってもらえて。それなら過去パートでしっかり見せようと思いました。

 ――あの年齢での「時の流れ」みたいなものが伝わりましたよ。

 そうなんですよ、ちょっと時間が経ったという設定で、それでも何年も経ってるわけじゃなく、せいぜい半年か。1年足らずなんで。

 ――この嬉々役はすごいセンシティブで、難しい、大人がやっても、難しい役だと思うのですが、彼女にどういうふうに演じてほしい、などリクエストや演技指導はされたのでしょうか。

 最初に西口さんに言ったのは、嬉々は特殊な子じゃなくて、本当にどこにもいる普通の子にしたい、ということでした。スーパー中学生を描きたいわけじゃない。スマートフォンでの撮影は大人にしっかり守られている時の嬉々で、西口さんそのままの“素”をいかに出すかでした。撮影の場に馴染んできたら、よく笑う明るい子で、そのままでいけるなと思って何も言っていなかったです。「どんな感じでやったらいいですか」と聞かれたら「いつも通りで」と言いました。全部、過去パートを撮り終わった後に、髪の毛を切って、本編。これは、お母さんが生きている時と死んだ後の違いを分けたかったからです。

環境も変わった。イコール嬉々の心境も大きく変わっているはずなので、そこの差をどうつけるか。そこさえクリアしたらあとは流れでいけるはず、という話をしていて。過去パートの時とこの現代パートは、ちょっと同じ人物に見えないぐらい別人に見えてほしいな、というのが僕の願望だったので、明らかに表情が違う、目が違うというか、雰囲気が違うようにできるかを話し合った上で、あとはあんまり難しいことを言いすぎても混乱するので、様子を見ながらちょっとずつ調整し、ワンシーンワンシーンずつ、という感じでした。

『嬉々な生活』のワンシーン

  ――お父さん役の川本三吉さんが、味のある演技でした。谷口さんがプロデュースされた作品にも出演された方ですが、お父さん役は、セリフは少なくても大事な役だと思うのですが、やはりお父さん役は、今までの映画で起用していた経験から川本さんしかいないというふうに思われたんですか。

 そうです。川本さんはほぼ当て書きだったですね。当て書きなんですが、今まで川本さんがやっている役では経験のないようなことも当て書きしたので、本人はちょっと困惑していましたけど、大丈夫という確信は僕は持っていて、やってもらって結果的にはうまくいったなぁっていう。新たな魅力になったんじゃないかなと感じました。

『嬉々な生活』のワンシーン

 ――渡辺綾子さん演じる元担任教師ですが、前半部分、特に、あの家庭にとっては救いになった気がしますが、その元先生はなぜ嬉々の家庭に興味を持ったのでしょうか。

 同僚教師への嫌がらせを嬉々に見られてしまったのがきっかけですね。もう先生も辞めたし、嬉々には本音を言える、みたいな感じで。本来真面目で、理想を持って教師になったはずなんですよ。そういうタイプなんです。こちらが誠心誠意やれば絶対伝わるはず、という信念だったものの、現実がそんなに甘くはなく絶望したんですけど、やはりちょっと人を育てることに未練はあるというか。教師を辞めてから、そのチャンスがやってきたというか。正式な教師としてではもうないけれど、生徒のために何かできることは、教師としての1つなんじゃないかというところから、どんどん入り込んできた感じですね。ただ先生も、嬉々たちを助けるだけではなく、それが自分への救いになるという形で、自分のためでもあったということですね。

『嬉々な生活』のワンシーン

やっと見つけたロケーション

 

――団地がとてもいい雰囲気でした。作品のイメージを形づくっていたと思います。リアリティーを持たせる重要な役割だったと思いますが、あれはもちろん実際にある団地ですよね。どのように見つけられたのでしょうか。もともと知っていた団地だったんですが、それとも今回のロケハンで?

 ロケハンで見つけたUR都市機構さんの物件なんですよ。URの物件はさまざまなタイプがあり、ちょうどいいのが、あそこだったんです。大阪中の団地を自転車でぐるぐる回って。敷地の広さ的にもちょうどよくて。5人家族が実際に住んでいそうと思えるかどうか、という基準で探しました。

『嬉々な生活』のワンシーン

 ――照明も少し暗くして、ちょっと暗いイメージを演出したのですか?

いえ、そんなにはしていなかったです。でも、どちらかといえば、映画の全体的なトーンとしてはあまりパンと明るくはしてないので、なんとなくそういう色合いがあの団地にもハマったのかなと僕も思います。

 ――ラストシーンも素敵なロケーションでしたね。

 そうなんです、あれもなかなか見つからなかった。クランクインして撮影が始まっても、まだ見つかっていなかったんです。小学生・中学生がメインのキャストなので、毎回撮影の終わり時間は早いんですよ。なので、撮影が終わってからスタッフ全員でロケハンに行って、ようやく見つけたのがあそこだったんです。あれを見つけて、もうぜひここでやろうっていう。

 ――あの土手は相当長いですよね。

 かなり長いんですよ。広いため池公園みたいなところなんです。その池の堤防の上と下で並行して歩いて走れる、結構な距離がありました。

 

中学生の奮闘、そして周囲の人物たちの物語。テーマを豊富に用意

 

――『嬉々な生活』が谷口監督にとって初の劇場公開作品です。今までプロデューサーを務められることが多かったですが、監督をされたのはどのような経緯からでしょうか。

 もともと監督志望だったんです。専門学校に通っていたことがあるのですが、その時も監督志望で、一緒に映画を撮っている磯部鉄平さんと専門学校が同期で、そこからの付き合いでずっとやってるんですけど、しばらく撮らない時期があって。磯部さんが撮り始めた時に、僕はプロデュースとしてサポートすることになり、それが続いたんです。そのため、現場で会うキャストやスタッフは“プロデューサーの谷口”というイメージがあったようです。

 ――監督業とプロデューサー業で、大きな違いみたいなのってありますか。

 プロデューサーは全体のことを考えるんですよね。特に予算面で、これぐらいの予算だから、こんなことができると自分の中にインプットした上で、取り組んでいるんです。また、スタッフ、キャスト、エキストラさん、昼食のお弁当など、全体のことをずっと考え続けている感じですね。

監督は作品やキャストのことをずっと考えている。どちらが楽、どちらがしんどい、ではないですね。

 ――この映画を通して、谷口さんが伝えたかったメッセージはありますか。

 正直、これは絶対に伝えたいんだ、みたいなものはないんですよ。ただ、こういうたくましい中学生はどう?って言いたい。そして、嬉々を中心にいろいろな人物の話がさまざまに展開していくのですが、観てくれる人がどこに興味を持ってくれるかは本当にその人次第ではあるけれど、豊富にメニューを用意したので、好きなのを取っていってください、という気持ちですね。

 ――1つのテーマだけじゃなくて、いろいろなテーマが盛り込まれていますよね。

そのイメージですね。特にここを見てほしいとか、こう感じてほしいというのは全くないんですよ。「これが一番お勧めメニューなので、これを食べてください」というのはない、っていう感じですね。

 ――では、演技や脚本における「見どころ」がありましたら、教えていただけますか。

 まずは、嬉々という人物を追った映画なので、その奮闘を見てほしいですね。終盤のクライマックスのところで、あるご近所トラブルが起きるんですが、団地の中ならではの展開があります。この部分はいろいろ工夫をしていて、観る人の立場によって、違う解釈や違う印象になるようにしています。ここは観てほしいところではあるので、観てくださった方の意見をぜひ聞いてみたいですね。

 

 

Profile
谷口慈彦監督
ビジュアルアーツ専⾨学校⼤阪を卒業後、映画の撮影現場に参加しながらフリーランスで、演技指導講師、映画制作ワークショップ、企業VPのディレクターとしても活動。 2019年、株式会社 belly roll filmを設⽴し、制作会社として活動の幅を広げる。磯部鉄平監督作『ミは未来のミ』(20)、『コーンフレーク』、(20)『凪の憂鬱』(22)、『夜のまにまに』(23)などのプロデュ―サーを務めた。 監督した⻑編映画『嬉々な⽣活』(24)が2025年8⽉劇場公開。

概要

『嬉々な生活』

ストーリー

スマホで撮影された家族の何気ない日常の風景が映し出される。
5人の家族は幸せそうだ。
母親が急死し、時を経て中学生の長女・嬉々が家事をしながら
妹や弟と慌ただしく学校にいこうと出かける。
布団の中の父親に「いってきます」と声をかけるが反応がない。
親友の美優と待ち合わせをし、学校へ向かうと思いきや、
嬉々は商店街でバイト求人の張り紙を探し回っている。
経済的に困窮していき焦る嬉々は、元担任教師の高妻のある行動を目撃し、
他言しないことを条件にお金を貸してもらうよう交渉する。
高妻の協力を得て一家の生活が変わっていく兆しが見える一方、父親の状態は悪化していく。

監督・脚本

⾕⼝慈彦

出演

⻄⼝千百合

川本三吉

渡辺綾⼦/⽑利美緒/⽯橋優和/⽵内⼤騎/中⽥彩葉/⾠寿広美/デカルコ・マリィ/時光 陸

内⽥周作

スタッフ

プロデューサー 和⽥裕之

製作 ⾕⼝慈彦

制作 時光 陸

撮影・照明 ⼩林健太

録⾳・整⾳ 杉本崇志

助監督 ⾼⽊啓太郎

美術 平井良実

ヘアメイク 佐藤志保

スチール 牧野裕也

⾳楽 ⼭城ショウゴ

編集 磯部鉄平/⾕⼝慈彦

宣伝美術 東かほり

宣伝 平井万⾥⼦

配給 SPOTTED PRODUCTIONS

制作プロダクション belly roll film

©belly roll film 2025年/カラー/ステレオ/DCP/91分

劇場公開

2025年8月29日(金)より  新宿武蔵野館

インタビュアー
井村哲郎

以前編集長をしていた東急沿線のフリーマガジン「SALUS」(毎月25万部発行)で、三谷幸喜、大林宣彦、堤幸彦など30名を超える映画監督に単独インタビュー。その他、テレビ番組案内誌やビデオ作品などでも俳優や文化人、経営者、一般人などを合わせると数百人にインタビューを行う。

自身も映像プロデューサー、ディレクターであることから視聴者目線に加えて制作者としての視点と切り口での質問を得意とする。