PFFアワード・映画祭・PFFスカラシップの3本柱が若き映画監督を支援
── ぴあフィルムフェスティバル(PFF)は1977年に始まったのですね。1977年といえば日本映画の低迷期でしたが、どのような経緯で設立されたのでしょうか?
低迷期だったからこその設立です。小津安二郎さんから山田洋次さんらの時代は、映画会社が人を雇って映画を制作しているから、みんな社員を目指して大学の映画研究会などに所属していたわけですよ。将来映画監督になりたい人は就職試験を受けるという時代でした。映画が黄金期だった1950年代は、映画会社の就職試験が厳しくなって高学歴の人しか入れないようなエリート産業になっていったんですね。その後映画業界自体が低迷したので雇用できなくなっていきました。一方で、映画監督は憧れの職業。そういう人たちのために、この映画祭を始めました。
ぴあという会社自身が、映研に所属し映画監督になりたかった人たちが始めた会社なのです。そしてビジネスで成功し、映画会社には入れなかったけれど映画をつくりたい希望を持つ若者たちのために、当時の日本ではまだほとんどなく、海外では新人監督を次々と排出している映画祭を主催しようということになりました。
── PFFのテーマは「映画の新しい才能の発見と育成」、ミッションは「発見」「紹介」「育成」とありますが、具体的にどのようなものか教えてください。
テーマは当初からまったく変わっていません。ミッションの「発見」は自主映画のPFFアワード、「紹介」は映画祭です。「育成」は、映画祭での上映も育成の一つですがメインはPFFスカラシップです。これは1984年に始め、当初は8ミリの映画をつくっていた人にとって憧れだった16ミリで長編をつくってもらう試みでした。徐々に出資してくれる企業も増え、映画祭からプロの監督も生まれるようになっています。

── PFFスカラシップでは「映画祭がトータルプロデュースする長編映画制作システム」によって新人監督のデビューを支援されていますが、どんなシステムでしょうか。
PFFが出資だけでなく専任のプロデューサーを置いて、プロデュースも行います。世界中の映画祭で映画制作を支援していますが「出資するから好きに作っていいよ」というケースが多いものです。PFFスカラシップは専任プロデューサーがトータルでプロデュースします。入賞者の企画コンペがスタートラインで、企画書を出してもらい、面談して、そこで一緒に映画をつくる人を決めます。
PFFスカラシップの成功は、どれだけヒットするかなどいわゆる商業的成功ということではなく、その人がやってみたいことをどれだけ実現できるかにあります。PFFアワードの受賞作を超えてさらにつくりたいものをつくることにどれだけチャレンジできるか。実験でもあり、これを理解している人じゃないとチャレンジは難しいです。スムーズに完成する人もいれば3年かかる人もいます。その人の映画づくりを一緒に支援するのがスカラシップであり、専任プロデューサーです。受賞者のやりたいことを引き出し、それにふさわしいプロフェッショナルな人をどう選び、どんなチームを組んで、どういう風にやっていくかなどをトータルで考えられる人がプロデュースをしており、通常の映画製作会社では難しい取り組みです。
── 制作費はどうされているのでしょうか?
PFFスカラシップの意義に賛同した正会員企業と一般社団法人PFFが制作費を出資しています。
応募作品の長さやジャンルを問わない。審査は大変だが自主映画に向き合いたい
── PFFへの応募条件が、応募作品の長さやジャンルを問わないのは、どのような理由からでしょうか?
「映画の新しい才能の発見と育成」がテーマの、自由な映画祭だからです。制約を設ける方が選ぶのは楽だとは思いますが、PFFは楽な道は選ばないんです。セレクションに参加してくれている約15名は、3カ月の生活を全て使って観ないといけないので本当に大変です。一人あたり120時間ほど審査のために観ています。自主映画は、その人がオリジナルに考えて全身全霊でつくっているわけですから、第1回からこの方針でやっています。

── セレクション・メンバーの約15名はどのように決めたのでしょうか?
経験者の方に推薦してもらって、固定せずときどき入れ替わっていただいています。長くやりますよと言ってくださる方もいますが、10年続くということはなかなかないですね。全作品にコメントするので、大変な仕事ですから。
── 一度受賞したら、応募できないのでしょうか?
何回受賞しても応募できます。グランプリを受賞した人が、次作を応募し受賞したこともあります。2015年に20歳でグランプリを受賞した『あるみち』の杉本大地さんは、PFFのあとベルリン国際映画祭で最年少受賞監督になりました。2017年に次作『同じ月は見えない』をPFFに応募して審査員特別賞を受賞しています。
映画祭に関わることは、すなわち「映画とは何かをずっと考え続けること」
── 荒木さんがPFFの運営に約30年間携わる過程で、インディーズ映画業界はどのように変わってきて、今はどういう状態だとみていますか?
インディーズ映画の呼び方も変遷しました。最初は自主製作映画と呼び、次に海外にならってインディペンデント映画と呼んでいた時期もあります。でもその言葉は根付かず、「自主」と呼ぶ人が多いので「自主映画」と呼ぶことにして、今日に至ります。
映画は一般的に「商業」と「自主」に分けられていますが、本当は商業も自主もないのではと思っています。今劇場で上映されている映画も、いわば自主映画です。宣伝費がないと大きな映画館ではなかなか上映できませんが、宣伝費がない映画でも上映する小さな映画館が増えています。そうなると「商業とは何か」「自主とは何か」に誰も明確な答えは言えないです。
例えば商業とされる作品で、多くの関係者がつくっていても自主制作のようなスピリッツの作品もありますから「映画とは何か」「作っている人たちがどう考えているか」をみる時代なのではないか、と考えています。純粋に映画に関する仕事だけやって生活している人は少なく、皆さん、それ以外の仕事もしていますよね。今は過渡期で、新しいやり方を試したり、映画とは何だろうと考えたりしている時期です。映画祭に関わることは、映画とは何かをずっと考える仕事です。

── 商業と自主を分けて考えるというのは古いでしょうか。
古いと思います。映画だけで採算がとれるのはトム・クルーズとか、ハリウッドなど世界マーケットの規模じゃないと難しい。今の時代、「これならヒットする」と断言できる作品はないのではと思います。
── インディーズの監督は自分で脚本を書いている方が多く、短い作品であってもぐっとくるものがあります。こういう方々が、好きな映画作りを続けていけるような仕組みを作りたいと私は考えています。
現在は、映画が収益を得る場所が少なくなっている状態ですよね。映画は素晴らしいコンテンツなのに産業として成り立ちにくく、自分の映画をどう売ればいいのかを自分で考えなくてはならない時代になりました。誰にも頼れず、自分で考えるという状態がまさに「インディペンデント」ですよね。それができる人しか残れず、厳しいところに来ています。
PFFはぴあのアイデンティティであり、維持していくために2017年に一般社団法人PFFを設立しました。どうしても続けたいと考え、ぴあが全身全霊で取り組んで、賛同社を増やす努力を続けています。私もPFFを通じて、毎年新たな課題をもらい、映画の奥深さ、素晴らしさを痛感しています。
第45回 ぴあフィルムフェスティバル
井村哲郎
以前編集長をしていた東急沿線のフリーマガジン「SALUS」(毎月25万部発行)で、三谷幸喜、大林宣彦、堤幸彦など30名を超える映画監督に単独インタビュー。その他、テレビ番組案内誌やビデオ作品などでも俳優や文化人、経営者、一般人などを合わせると数百人にインタビューを行う。
自身も映像プロデューサー、ディレクターであることから視聴者目線に加えて制作者としての視点と切り口での質問を得意とする。