インディーズ映画『珈琲ゼリーとミルク』冒頭の珈琲ゼリーの撮影について
──『珈琲ゼリーとミルク』について伺います。この作品をつくろうと思ったきっかけはどんなことだったのでしょうか?
“食”に関する短編映画をつくりたいなと思っていたのです。むかし祖母がよく珈琲ゼリーをつくってくれて、とても美味しかったので珈琲ゼリーをテーマにつくってみようと思いました。
── 作品にでてくる珈琲ゼリーはとてもシズル感があり、美味しそうでした。ライティングなど含めて撮影は大変だったのではないですか?
そうですね。見た人が映画を見終わった後に「珈琲ゼリーを食べたいな」と思ってもらいたかったので、珈琲ゼリーを美味しくみせることをとても重視しました。珈琲ゼリーを魅力的に見せるために、珈琲ゼリーをアップで見せるシーンは俳優さんのシーンよりも時間をかけて撮影していましたね。珈琲ゼリーをキラキラ光らせるために色々とライティングで試しながら楽しんでいました。
── メガネをかけていない人が急に豹変して、二人の言い合いになります。言葉のキャッチボール含めて脚本が素晴らしいですね。脚本のオカモトアユミさんにはどのようなお願いをしたのでしょうか?
オカモトさんには珈琲ゼリーをメインとして、人里離れた古民家風カフェで人物劇を撮りたいという話をして、あとはオカモトさんに任せました。自ら脚本を書くこともあるのですが、撮りたい画だけ伝えて投げさせて頂きました。脚本届くのがとても楽しみでした。今後もこのスタイルを維持していきたいです。
短編映画紹介
『珈琲ゼリーとミルク』(ジーンシアターで配信)視聴はこちらから
ストーリー
仲良く登山を楽しむ、女性二人。そんな彼女たちが休憩に立ち寄ったのは、とある古民家風カフェ。店内はレトロな音楽が流れる心地の良い雰囲気。そこへカフェのマスターからの好意で、珈琲ゼリーが提供される。
ところが、そこから二人の雰囲気はなぜか険悪になっていく。“珈琲ゼリーとミルク”この2つを巡る、なんてことない論争の末…マスターや客の見守る中、二人の行きついたこの話の最後とは。
ドローンによる空撮を使用した理由
── 冒頭で空撮シーンがでてきました。短編のインディーズ映画で空撮を使うことはあまりないと思うのですが、空撮にこだわった理由を教えてください。
昨年までは、結構手軽に空撮はできていたと思います、最近は色々制約がありますが。。田舎に住んでいることもあり、壮大な風景を手軽に撮影できる環境にあるので、自然と作品には空撮がセットになってる気がします。
もちろん企業からの依頼などのプロモーションなどでも多用してます。まだまだ空撮は新鮮です。
──『珈琲ゼリーとミルク』のテーマはどんなことなのでしょうか?
いつもはテーマを決めてつくるのですが、『珈琲ゼリーとミルク』は特にテーマを決めずに、日常の風景を切り取りました。この作品についてはテーマがないのが面白いところではないかと思っています。
──新立監督は『四月珈琲』という約20分の作品もつくられていますね。ここでも珈琲をタイトルにつけています。珈琲にこだわりを持っていらっしゃるのでしょうか?
言われてみればという感じですね。珈琲というよりもロケで使用した喫茶店が学生の頃から通っていた喫茶店なんです。その喫茶店は今も利用しているのですが、とても雰囲気が良く、「ここで映画が撮りたいな」と思っていて、『四月珈琲』も『珈琲ゼリーとミルク』もこの喫茶店で撮影させて頂きました。
短編映画紹介
『四月珈琲』(ジーンシアターで配信)視聴はこちらから
ストーリー
祖母の葬式に出るために 数年ぶりに故郷へ帰った主人公・さき。父を亡くし、母が再婚したさきは、子供の頃から祖母と2人暮らしだった。かつて住んでいた家の近くを歩きながら、さきは祖母の入れる珈琲のことを思い出していた。ふと気づくと、山の下の方から、1人の女性がさきを見上げて手を振っている。「よかったら、帰りに寄ってらして」。その優しい笑顔に惹かれ、女性の元へ向かうさき。カランカランと引き戸を開けると…
大学で大林宣彦監督に師事。大林監督から教わったこととは
── 新立監督のキャリアについて伺います。テレビドラマ『濱マイクシリーズ』や劇場映画『ピンポン』に衝撃を受け映像の世界に進んだと伺っています。
その2作品とも2002年の作品なんです。僕は美術高校に通っていて、高校2年の多感な時期にあの2作品をみて衝撃を受けました。その当時はデジタルカメラで撮影するドラマが多くなってきていたのですが『濱マイクシリーズ』はフィルムで撮られていました。そのときにフィルムの良さ、色や雰囲気とかざらつき感がキレイだな、と思いました。
またその同時期に公開されていた映画『ピンポン』は、放課後、京都河原町で観賞し青春の1ページとなりました。この2作品を経て、映像の世界で自分も活躍したい!と高校2年で新しい道が開けた音が聞こえました。
── 高校2年で映像制作を仕事にすると決めたのですね。
親が自営業をやっていて、おそらく僕が継ぐことを期待していたと思うのですが、親も私の夢を後押ししてくれて大学進学を叶えてくれました。大学では大林宣彦監督が客員教授できていて、年に2回ほど自分の作品を見てもらいました。
── 私も以前、大林宣彦監督にインタビューしたことがあるのですが、ものすごい映画愛が強い方で、映画について話すといくらでも話されますよね。
本当に映画愛の強い方ですね。私の通っていた大学は、大林作品のロケ地として有名な尾道に少し雰囲気が少し似ていました。僕が大学で制作した作品は、地域の歴史や伝統を生かした映画制作だったので、大林監督の映画を研究し、自らの作品もの取り入れさせて頂きました。
── 大林監督の教えはどのようなものでしたか。
大林監督は「日本映画を大事にしなさい」ということをよくおっしゃっていました。今は誰もが簡単に映像制作をできる時代ですが、日本人だからこそ表現できる雰囲気のある映像を、これからも大切にしていきたいと思っています。
「小説CM監督」という肩書きについて
── 新立監督は、インディーズ映画以外にも様々な活動をしていますね。その中の一つ「小説CM監督」とはどのようなものなのでしょうか?
以前何気なくネット記事を見ている時に、著作権の切れたCMを1分のCMにしようというコンテストがあったのです。面白そうだなと思い、渾身の1作(予告編)をコンテストに出したら優秀賞を受賞させて頂きました。そこからありがたいことに連続で賞などを頂き、その受賞パーティーで文藝春秋の方と話している時に、文春が発行する小説のCMを作ってくれませんかと依頼されました。文春さんとはそれをきっかけに何本かCMを制作させて頂きました。
── 映画の予告編のようなものなのですか?
映画の予告編とは微妙に違うのです。映画の予告編は良いシーンをつなげ合わせることができ、俳優をメインに持ってくることができます。しかし小説の予告編はネタバレせず、さらに登場人物を詳しく書きすぎないということが重要です。小説は自分で空想しながら読むものですから、見た人が読んでみたいという気持ちに加え、映像でイメージをつけすぎないことが求められるのです。
今までに本屋大賞受賞作の宮下奈都さんの『羊と鋼の森』、瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』や直木賞を受賞した馳星周さんの『少年と犬』などを制作させて頂きました。
「ポルシェ×京都」CM制作の難しさ
── 他にも「ポルシェ×京都」というCMの仕事もしていますね。ポルシェは超ハイパーブランドであり、京都は古都という伝統、この2つを掛け合わせて表現するのは大変ではないですか?
まさしくブランドとブランドなので難しかった面はありますね。仏閣とポルシェであまりイメージが結びつきにくいと思われそうですが、実際に絵づくりをするととてもマッチしました。新旧のブランド、和と洋というブランドなのですが、お互いの良さが交じり合い引き立て合う様な映像演出を考えています。
インディーズ映画の未来について
── インディーズ映画について伺います。インディーズ映画の大半は収益化がされないですが、新立監督がそれでも作り続けていくというモチベーションを教えてください。
僕は大学の事務員として働きながら受注の仕事を行い、その合間を縫ってインディーズ映画をつくっています。そんな時間がない中でもインディーズ映画をつくるのは、自分の表現の一つである映像を使ってつくった作品を見てもらって、一人でも多くの人が笑顔になってもらえたら嬉しいという想いからつくっています。
── インディーズ映画の制作は俳優やスタッフなどお金もかかると思うのですが、何か工夫されていることはありますか?
インディーズ映画をつくっている人でもスポンサーを集められる人もいると思うのですが、僕の場合はインディーズ映画を制作する費用は全部自分で出しています。僕は監督に加えて、撮影・編集も行うのですが、それでも場所代や俳優さんたちへの支払いなどやはりお金はかかりますね。
── 新立監督がつくられた作品を映画館で上映されたことはありますか?
自主上映になりますが、あります。嬉しかったですね。やっぱり映画人としてテレビ画面やスマホで見てもらうよりも大きなスクリーンで見てもらえることは何より嬉しいです。自分の作品が映画館のスクリーンに映し出された時の感動は忘れられないですね。そのときに「あー、やっぱり映画っていいな」と改めて思いました。
── インディーズ映画は今後どの様になっていくでしょうか?
今は発信する媒体があるので、可能性は無限だと思います。インディーズ映画だから人に見られないということではなくなってくるのではないでしょうか。良い作品はみられる様になってくると思います。その分、自分の力が試されるようになってくるのではないでしょうか?
─ これからどんな活動をしていきたいですか?
脚本が少し苦手なので良い脚本を書く人と出会いたいですね。そして長編の映画をつくって映画館で上映したいなというのは思っています。そのために人脈づくりなど準備をしています。
井村 哲郎
以前編集長をしていた東急沿線のフリーマガジン「SALUS」(毎月25万部発行)で、三谷幸喜、大林宣彦、堤幸彦など30名を超える映画監督に単独インタビュー。その他、テレビ番組案内誌やビデオ作品などでも俳優や文化人、経営者、一般人などを合わせると数百人にインタビューを行う。
自身も映像プロデューサー、ディレクターであることから視聴者目線に加えて制作者としての視点と切り口での質問を得意とする。