『ねじけたつま咲き』タイトルの意味
──ジーンシアターで配信中の『ねじけたつま咲き』についてお聞きします。女子高生2人の微妙な心理を描いた作品ですね。タイトルの意味を教えてください。
この作品は、女の子2人の関係性を描いた話ですが、コロナ禍でもあったので、特に人と人の距離感や関係性を描きたいと考えました。
人と人の関係がぐるぐるねじれ、そこに青春の華やかさも絡んでいく。最終的には、2人が波打ち際でジャンプして、つま先が同時に着地した瞬間に気持ちがわかり合えて、ねじれたものがふわっとほどけていく。
「ねじけた」は「ねじれた」の方言で、「ねじれた」よりも柔らかいニュアンスにもなると思いました。「咲き」は、気持ちがほどけてふわっと花が咲いたように華やかな気分が広がるイメージですね。
そんなイメージで物語をつくっていたので『ねじけたつま咲き』というタイトルにしました。
──二人が海岸を早歩きで進むシーンが印象的でした。表情をほとんど見せずに、足の動きや波やドローンカットで揺れ動く心を表現しましたね。あのシーンの演出についてお聞かせください。
2人の気持ちがねじれていく過程は、歩く順番が交互になったりブランコが交互に揺れたりと、かみあわないものを重ねていきました。海岸でのシーンも、最初は歩幅もスピード感もバラバラなのが、だんだん歩調が合ってきて、最後は同時にジャンプして呼吸が合う瞬間が現れる。
あの年代の子たちって、ジャンプしたタイミングが一緒だっただけで、打ち解けた気持ちになりますよね。そんなささいなことで仲が戻る。繊細な部分を描くのに、表情ではなく「ささいなこと」を描きたかったので、あの演出にしました。
短編映画紹介
『ねじけたつま咲き』(ジーンシアターで配信)視聴はこちらから
ストーリー
主人公の深月(みつき)は、親友の陽菜(ひな)に憧れを抱いていた。かわいくて、人気者で……大好きな松本くんのことだって、なんでも知っているから。
―― 放課後。一緒に彼を待ち伏せしてみるが、親しく接する陽菜と彼を見て、深月は声をかけることもできずにいた。そしていつしか陽菜に対し、モヤモヤとした感情が芽生え始めてしまい……。
17歳のふたりの少女。彼女たちの友情が、だんだんと“ねじけて(曲がりくねって)”いく。
──カメラワークも凝っていましたね。カット数も多く、衣装が波で濡れたら撮り直しもできないですから、撮影は大変だったのではないですか?
撮影は大変でした。日数を5日間ほどかけていて、1日2分ほどしか撮れていませんでした。夏場で一番暑い時期だったので、日中は休憩ばかりしていて、陽が傾いてきたころから急いで撮り始めて。
カメラマンが大学の同級生で、撮りたい画の方向性が似ていましたので、アングルの判断は難しくなかったのですが、波のタイミング、ジャンプのタイミング、そのあたりが難しくて何回もやりました。同時に足が着かないと意味がないので。10回以上はやったかな。2人が疲れ切ってへとへとのところを、何回もやらせてしまいました。
──主人公の深月(みつき)が仰向けで風呂に沈むシーンで、お湯に文字が浮いていました。あれは実際に紙の文字を浮かせたのでしょうか?それともCGだったのでしょうか?
紙を切り抜いた文字を使いました。深月が、言葉でうまく表現できずに、言葉に埋もれ、のまれていく様子を見せたくて、最初CGで面白いサンプルがあったので、こういうイメージでやろうと話し合っていました。技術的にCGを超えられなさそうだったのと、アナログで撮るのが好きだったのもあり、CGではなく実写で撮りました。
紙をいろいろ試したら、意外にもケント紙が沈まず破れず、ちょうどよかったです。さすがに切り抜き作業は外注しました。
実は、あれも撮り直しているのです。撮ったのが2日目なのですが、撮った後「うまくいっていないな」と思って。その日は夜遅くで寒くなっていたので、最終日に撮り直しました。文字も、あまり波を立ててバチャバチャやると文字同士が絡んでしまうので、加減が難しかったですね。
──文字どうしがうまく絡み合っていましたね。
偶然「好」「き」という文字がくっついて「これや!」と(笑)。意図しない事象が起こるのがアナログの面白さですよね。CGだとあのような見え方にはならないので、よかったです。
──『ねじけたつま咲き』はTOKYO青春映画祭 グランプリ&監督賞を受賞しましたね。内容的にもTOKYO青春映画祭を意識した作品でしょうか?
いえ、もともとは富山の映像祭に出品する予定でした。しかしそちらが5分以内の映像という条件で、企画を考えていくうちに5分にはおさまらなくなってしまったので、富山の方には短縮版を応募し、最終的に9分になったので、9分で出せる映画祭を探したらこちらになりました。「青春」というテーマにもぴったりな内容でした。
ミステリー作家の呉勝浩さんと企画した『歌ってもいいですか?』
──ジーンシアターで配信中の『歌ってもいいですか?』についてお聞きします。ミステリーとして秀逸な作品ですね。『ねじけたつま咲き』のイメージとは全く異なる作品ですが、ミステリーもつくられるのでしょうか。
この作品まではつくっていなかったです。Osaka 48 Hour Film Project 2020に参加した際に「ミュージカル」のお題をひいたのがきっかけです。
主人公を演じる白石優愛ちゃん自身が歌を好きだったことと、キャラクターとして闇を抱える設定の方が面白いかなと思ったことから、ミステリーとしての企画をスタートしました。歌の中できれいにきらきら輝いているけれど、腹の底では闇がある。また、ロケ地に古くてさびれた感じの建物があったせいか、街の雰囲気がミステリアスに見えてきたのです。また、僕の後輩でミステリー作家の呉勝浩くんがいまして、彼もこの企画に参加してくれていて、彼と話しているうちにミステリーの方向になりました。
──白石優愛さんが、可愛さとゾッとする気味悪さを演じ分けていました。細かな演技指導はされたのですか?
僕の場合は、細かいことはあまり指示しないのです。その人が持っている良い部分を出してもらえるようにと心がけています。イメージは伝えて「こういうニュアンスで」と狙いはもちろん伝えますが、優愛さんが持つ良さがなるべくそのまま出るようにしました。
テストを繰り返すと段取りを覚えてしまい、感情が抜けて段取り芝居になってしまうので、テストもしないで、思い切ってやってもらいます。カメラのほうが俳優さんを追いかけてとらえていくような。
演技がまだ始まっていない部分を採用することもあります。俳優さんがキャラクターになりきったなと感じたらカメラを回しておいて、「本番いくよー」と声をかけた直前の部分を使うこともありました。
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『歌ってもいいですか?』(ジーンシアターで配信)視聴はこちらから
とあるピアノ教室へ通う女の子。彼女の父親は有名なピアニストであったが、幼いころに両親は離婚をし、母親の命令によって渋々このピアノ教室へ通っていた。
本当はピアノの練習よりも歌を歌いたい……そんな願いを抱えて苦悩する女の子は、ある日先生に提案をする。
それは、「ラブレターの代筆」。
一体誰に向けてのラブレターなのだろう?疑問を感じながらも、彼女の代わりに熱い恋文をしたためていくピアノの教師。
物語の最後に待つのは、ハッピーエンドか、それとも…。
──石川監督は作品をつくる際、脚本はどのように書いていますか?
『ねじけたつま咲き』は基本的には撮る場所やお芝居をイメージしてから書いています。先に画を考え、ロケ場所が決まってさらに細部を詰めて、場面を頭の中でつないでから脚本を書く、といった流れでつくっています。
撮影後は、必ずしも脚本通りに編集しないこともありますね。頭の中で想定したものと、俳優さんが動いてできてきたものが違うので。現場で出た良いものをメインに据えます。カット割も一応考えるのですが、現場でお芝居を見て、それが活きるようなカット割に変えていきますね。
実は『ねじけたつま咲き』で2人がブランコのところで待っているシーンは、脚本上ではファーストシーンだったのです。ファーストシーンで現在の状況を示し、次に時間を巻き戻して説明していくという流れだったのですが、あのシーンを物語の転換点に移動させたらより良くなりました。
──演出するにあたって、大事にされていることはどんなことでしょうか。
お芝居に関しては、俳優さんが持つものをどう引き出すかを考えています。こちらがつくったキャラクターをはめるというより、俳優さんが出してきたものをキャラクターと合わせていくことをします。
あとは、光の加減を重視します。光がどうあたっているか、その人にどうあたるかもありますし、背景の光の具合をどうするかもあります。そのシーンに希望があるかないかによって、背景に光をいれる・いれないを決めます。
『ねじけたつま咲き』は夕方に話が進んでいく物語ですが、逆光で顔に影がおちる状況をつくりたかったのです。何か事情を抱えた2人だと表現するために、逆光になる状況をわざわざ選びました。だから夕方の帰り道のシーンにしているのです。
もし明るい気持ちを描くのであれば、昼間の時間帯に撮影していると思います。朝、学校に登校する道のシーンになっていたかもしれません。
カンヌで上映された『House of Souls』
── 『House of Souls』はOsaka 48 Hour Film Project 2020のグランプリ、編集賞、助演男優賞 を受賞し、さらにはFilmapalooza 2021の準グランプリ&監督賞を受賞、カンヌ国際映画祭2021のショートフィルムコーナーにも出品されましたね。残念ながらコロナ禍でカンヌには行かれなかったようですが、カンヌで上映された感想を率直に教えてください。
大阪で1位になったのはびっくりしました。48時間で作品をつくるので、そもそも普通の映画とは違って、評価基準が「お題をどうクリアしているか」などいろいろあり、何がどう評価されるかわからなかったので。
また、海外では「creepy(ぞわっとする)」という感想があったそうです。「驚かすホラー」ではなく、黒沢清監督のように「ぞくぞくするホラー」にしたいと思っていましたが、それが狙い通りクリーピーだと言ってもらえたということは、驚きもあり嬉しいことでもありました。この感覚が海外の人にも伝わるんだな、と思って。
Filmapaloozaでは監督賞もいただけたので、開催されていれば壇上で表彰されていたのに、表彰式もオンラインで残念でした。カンヌは表彰式を開催するけれど、会場に入れるのはチームから1人のみです、といわれて。カンヌにはスケジュール的には行けなくはなかったのですが、カンヌで1週間隔離、帰国したら2週間の隔離、の時期だったじゃないですか。会場以外も出歩けないですし、ほぼ1カ月何もできない状態になるのであきらめました。
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『House of Souls』(ジーンシアターで配信)視聴はこちらから
ストーリー
『House of Souls(魂の場所)』と題した本作品。
世界三大映画祭のひとつであるカンヌ国際映画祭ショートフィルムコーナーで上映されるなど、世界で高い評価を得る短編ホラーである。
――「自殺って言ったって……あの子が自分の意志で死んだりする訳ないんです」
台所に立ってそう話す女の言葉に、保険屋の男は黙って耳を傾ける。
次に保険屋が女のもとを訪れたとき、家の中の様子に違和感を持ちはじめ……?
── カンヌは石川監督にとってどんな存在ですか。
僕はアメリカよりヨーロッパの映画の方が好きで、フランス映画が特に好きなので、行くならカンヌに行きたい、憧れの場所でした。
── 他に意識している国内外の映画祭はありますか?
意識している映画祭はあまりないですね。映画祭の色と作品が合うかどうかがありますから。毎回同じような作品を撮っているわけではないので、そのときの作品次第で応募先を考えていますね。
石川監督のキャリア。先輩の言葉に背中を押され、映画づくりの現場で経験を積む
──映像関係の仕事をしようと思ったのはいつ頃でしょうか。
大阪芸術大学で映像の勉強をしている頃から仕事としてやりたいと思っていました。CMやドラマの撮影も、機会をいただいてやってきましたが、映画業界・テレビ業界に社員として入ると自分の方向性とは合わないことがあると思い、自分の世界観を映像で表現していきたいので、フリーでやっています。映像の技術も磨いていかないといけませんから、さまざまな仕事を受けつつ、作品づくりでは自分の表現を探していく、というやり方で働いていこうと思っています。
──大阪芸大卒業後、会社には就職したのでしょうか?
最初はNHKのドラマのバイトの話があったので、バイトで入りました。でも1年も経たずにやめてしまって。信頼できる先輩が3人も口をそろえて「お前は映画の現場に行ったほうがいい」といってくれたのです。このシーンだったらこういう画がいいのでは、などと先輩に話したりしていたので。映画制作に行ける道を探していました。
そのときに、ロケコーディネートなどを行う会社で、派遣社員として松竹の撮影所に行ったり、他の映画やCMの現場を見せてもらったりしました。自分がどんなことに向いているかもわからない状態でしたから、仕事しながら経験させてもらえてありがたかったです。海外との合作映画などの仕事も経験させていただいたおかげで、映画づくりに本腰を入れていきたいと決心できました。
──「gomaora」は大阪芸術大学の人たちが中心となっている映画制作集団ですね。具体的にはどのような活動をされているのですか?
活動を始めたのは、自分がフリーになってから、映画をつくるのにチームがほしかったためです。それぞれ映像業界ではない場所で仕事をしている人たちなので、映画をつくるときはgomaoraで集まることにしていて。映画をつくるためのチームなのです。
── gomaoraのコンセプト「【共感】と【芸術性】【光】ある映画」について教えてください。
映像では光(ライティング)を重要視しています。映像としての光のあて方だけでなく俳優の心情表現にも光を使います。
あとは、希望のある話にしたいのです。主人公に残酷でつらい思いをさせて終わる作品もあるじゃないですか。そういうのではなく、主人公がどん底に落ちたとしても、最後はちょっと上を向いて終わらせたい。そこに共感が生まれると思うので。
光が表現の効果を持つ映画をつくりたい、という意味合いに加えて、最後に希望の光が見えるもの、ということです。自分が見たい映画とは何だろう、と考えたときにこれらの言葉が出てきました。美しさもほしいですし、映画を観ているときに背筋がすっとするような感覚になるものをつくりたいと思っています。
『歌ってもいいですか』の希望が何かというと、彼女の心の解放が希望です。苦しめられていた人からの解放、心の救いがある。現実的には…どうしようもないですね(笑)
── 好きな映画監督や、参考になる映画監督は誰でしょうか?
影響を受けたのはベルナルド・ベルトルッチ監督や、『汚れた血』のレオス・カラックス監督です。心の表現が秀逸で、ぐっとささります。心の揺さぶり方をどうやっているのだろう、という視点で見ています。
台湾のホウ・シャオシェン監督の『黒衣の刺客』で日本ロケを担当したのですが、現場で監督の映画のつくり方を見ていて驚きました。こまかいニュアンスを見ている人ですね。
奈良時代の中国の話で、日本の古い建築物を使って中国の時代劇を撮りたいということだったのですが、廊下に柱が並ぶ回廊を探していて、東福寺の回廊を見たときに「あれは柱が四角いから男性の建物に見える。女性の住処なので丸い柱の回廊がいい」とおっしゃったのです。ニュアンスの細部にイメージを働かせているのですね。
お芝居はほとんど1テイクで終わります。あまりテイクを重ねて粘ることはしない。「何か違うな」と感じたときは「あのとき晴れだったから雨で撮ってみよう」と後日撮り直す。“偶然”に含まれるニュアンスや良さ、芸術性をすごく大事にしている人ですね。
ロケセットをつくると、昔の建物の設定で、当時窓ガラスはないので薄いスケスケの布がかかっているようなセットにして、その布の揺らめきで主人公たちの心情を表現する。そのときも、扇風機で風を起こすのではなく、“偶然”風が吹くのを待つのです。奇跡的に生まれた空気感をとらえるのが上手な人ですね。僕のやりたかったことがホウ・シャオシェン監督のやり方にあると感じたのです。現実にできるかどうは別ですが。
インディーズ映画制作は「作家としての価値を高めていくステップ」
──インディーズ映画は収益化が難しい状況にありますが、それでもつくる理由やモチベーションを教えてください。
理由は人それぞれじゃないですかね。僕は「つくる過程が好きだから」が大きいです。
いいものができたら人にどんどん見せたいですし、いいものができなかったら見られたくなくなります。インディーズの悪いところでもあるのですが、つくることが先行してしまってどうやって見せるかをあまり考えない部分があります。今は配信など、見せられる場が少しずつ増えてきているので、それはいいことだと思っています。
また、「商業映画では撮れないつくり方があるから」もあります。自分がやりたいこと、やりたい表現ができる環境があるのがインディーズだと思っていて。
9分の作品に5日もかけて、陽の傾きを見ながら撮るというのは商業映画では難しく、1日で撮れといわれそうですよね。自分がやりたい表現を追求すると、ひたすら夕方だけを撮って、特にこのシーンは夕方でしか撮りたくないので日程を割り振ったら5日かかってしまう、となるのです。さらに気象条件も加わり、例えば5日のうち1日雨が降ったので結局6日かかる、そういう撮り方ができます。
カメラの性能が上がり、編集も自分でできるようになって、お金をあまりかけなくともクオリティを高められるようになってきました。だからこそ、つくり手は商業映画ではできないような作品をつくるべきだと感じています。
直接収益化は商業映画で必ずしも実現できるとは限らないですから、インディーズ映画は、収益化できるようになるためのステップだという認識でやっていくといいのではと考えています。映画そのものが収益化できなくても、作家の価値が高めることにつながればいいと思うのです。映画祭に応募して受賞することも価値を高めますし。
ジーンシアターで作品を厳選して配信してもらえることも、価値が高まります。このような環境があるだけで見てもらえるようになりますね。実際に、僕の『House of Souls』はカンヌに行きましたけど、それだけで仕事がしやすくなりました。優れたインディーズ作品をつくることで信頼が積み重なり、太鼓判を押してもらえるようになるのが嬉しいですね。
── 今後はどのような活動をしていきたいですか?
長編を撮りたい気持ちもあります。少しずつ時間の尺を伸ばしつつ、クオリティも上げていきたいです。かといって、具体的に資金をどう集めるかは未定なのですが。近い予定では、ミステリーの話で30分ほどの作品を企画しており、いい作品にしたいと思っています。
井村 哲郎
以前編集長をしていた東急沿線のフリーマガジン「SALUS」(毎月25万部発行)で、三谷幸喜、大林宣彦、堤幸彦など30名を超える映画監督に単独インタビュー。その他、テレビ番組案内誌やビデオ作品などでも俳優や文化人、経営者、一般人などを合わせると数百人にインタビューを行う。
自身も映像プロデューサー、ディレクターであることから視聴者目線に加えて制作者としての視点と切り口での質問を得意とする。