──本業が芸人でもある門田監督は、どんなきっかけで映画を制作するようになったのでしょうか?
大学の芸術学部にいた頃、授業の一環で映画をつくる機会があり、映画づくりの楽しさを感じました。もともと芸人か脚本家になりたいと思っており、卒業後に吉本興業が主催するシナリオコンテストに応募したら入選したのです。 その授賞式では当時人気絶頂期のオリエンタルラジオがMCで、僕のちょっとしたボケに対して彼らがツッコんでくれたところすごくウケたんです。そこでお笑いの楽しさを再認識して、お笑いの道を進むことになりました。 芸人として活動する中で、芸人仲間の単独ライブで上映するオープニング映像の制作などを依頼されるようになりました。またX(旧Twitter)に投稿した『JKに声かけてみた』という9秒の動画がバズり、取材依頼を何件もいただきました。 そんな中で、芸人仲間が「映画好き芸人がそれぞれ映画を撮って上映するライブをしよう」と誘ってくれたのです。そこで『くろまじゅつ』という作品を流したところ良い評価をいただいたので、コンテストに応募してみたら入選して。その後もMV制作の依頼などをいただけるようになって今に至る、という感じです。
── 映像制作はどのようにして学ばれたのでしょうか?
大学で映像制作の授業はありましたが、その頃は脚本家になりたいと思っていたため、あまり真剣に聞いていなくて……。『くろまじゅつ』を制作していた頃も、シャッタースピードなど全く分からずオートで撮っていたんです。 それでいざ上映会で流してみると「あれ、自分の映像なんかしょぼいところがあるぞ」と感じ、そこからは独学で映像制作を勉強しました。
短編映画紹介
『くろまじゅつ』(ジーンシアターで配信)視聴はこちらから
ストーリー
同棲しているタカシとナツコ。最近タカシは通販で怪しげなものを買っているようだ。今日届いたのは「黒魔術スターターキット」。名前もデザインも見るからに怪しそうな商品だ。
スターターキットには「まずは聖水でキャンドルを清める」とあるので、キャンドルにミネラルウォーターをかける。何か違う気もするが気にしないタカシ。
タカシがくろまじゅつを使って叶えたかったこととは?
── 映画を制作する上で役に立っている芸人のノウハウはありますか?
芸人がライブでやるネタの時間は、2分から4分ほどに決められています。約10年間、毎月3分の会話劇をつくっていました。その経験もあって、短編映画向きの思考ができていたと思います。 また芸人の感覚として、何も起こらないセリフが何往復もするというのに違和感があって。そのため、僕の映画ではセリフ全てに何かしら意味があるようつくっています。
── ちなみに、芸人・門田さんとしての担当はボケとツッコミのどちらですか?
『エーデルワイス』というお笑いコンビで活動していた頃は、ツッコミを担当していました。コンビを解散してからは、いろんな人と組んでボケとツッコミをどちらも試しながらやっています。
── 門田監督の映画にご自身は出演されませんよね。出演しない理由はあるのでしょうか?
映画制作の現場は基本ワンオペで進めているため、僕が出てしまうとカメラを回す人がいなくなってしまうんです……。 あとは、編集中に自分の声を何度も聞かなくてはならないのが苦痛に感じるというのもありますしね(笑)。ただ表に出ることは好きなので、いずれは出たいと思います。
──脚本もカメラも編集も、ご自身でやることが多いのですか?
はい、全部自分でやっています。たまに映像のことを何も分からない後輩に「レフ版(撮影で用いる被写体に光を反射させる板)この角度で持っていて」と頼むくらいで。 ワンオペだと関わる人を減らせるため、フットワークが軽くなるんですよね。ちょっとしたアイデアでさくっと撮れる、行こうと思えばすぐに撮りに行けるというのが大きなメリットです。 それに、いろんな人に関わってもらうと「絶対ヒットさせなきゃ……」と考えてしまって、責任を感じてしまうので(笑)。
──好きな映画監督と作品があれば教えてください。
映画監督・脚本・演出など多方面で活躍されている筧昌也さんの作品との出会いが、ミニシアター系を撮りたいと思ったきっかけでした。筧監督の手がけた『美女缶』(2003年公開)のように、『世にも奇妙な物語』シリーズにありそうな、かわいくてオチがある作品が好きです。『美女缶』はその後、筧監督によってセルフリメイクされて『世にも奇妙な物語』で放送されました。 『美女缶』は、それまで僕が考えていた自主映画のイメージである「アートっぽいことをやっているのが評価される」を大きく覆したのです。「世にも奇妙な物語のようでおもしろいな」と思っていたら、本当にその一編としてセルフリメイクされて驚きました。 ちなみに筧監督とは、元俳優で芸人仲間の石出奈々子さんを介してお知り合いになり、今では2人でサウナにいくほど仲良くさせてもらってます。
ジーンシアターで配信中の作品について
──門田監督のジーンシアターで配信する作品について伺います。まずタイトルがとても印象的な『タイムマシンとスイカ割り』は、ストーリーはご自身で考案されたのですか?
はい、僕はタイムリープものがとても好きなんです。幼い頃はドラえもんのビデオを繰り返し見ていましたし、人生で一番好きな映画が『サマータイムマシン・ブルース』(2005年公開)という、壊れたクーラーのリモコンを手に入れるためにタイムマシンに乗って昨日へ行くという作品で。 タイムリープものの一番の魅力は“未来へ帰る瞬間”で、そこにエモさを感じるんです。『タイムマシンとスイカ割り』はその部分だけで映画がつくれたら……という思いからできたお話です。
短編映画紹介
『タイムマシンとスイカ割り』(ジーンシアターで配信)視聴はこちらから
ストーリー
8月15日「サツキとスイカ割り」……。 ひぐらしの鳴き声がどこか寂しげに響き、夏の終わりを感じる日。縁側でスイカを食べながら談笑する2人の少女のうち、1人の少女が突然秘密を明かす。それは、彼女が未来からタイムスリップしてきたのだという事実だった。 彼女は一体何者なのか……? そして、未来から過去にやってきた理由とは……? ラストで明かされる驚きの事実に、切なくも温かい気持ちになる作品。
── “スイカ割り”という少しレトロな設定にした理由を教えてください。
タイムマシンのイメージからは遠いもの、違和感があるものと組み合わせたいと考えたからです。 自主映画はタイトルで興味を持ってもらわないと、その先のあらすじすら読んでもらえないですから。そのため、客観視した時に「見たい」「興味が湧く」と思えるようなタイトルを付けるようにしています。
── 未来からきた自分の娘と対峙する母の冷静な振る舞いと、はしゃぐ娘の対比もよかったです。現場での演技指導はどのようにされたのでしょうか?
『タイムマシンとスイカ割り』に出演するお二人はアイドルグループの方で、どちらも演技は未経験でした。撮影日に初めてお会いしたのですが、しっかりセリフを覚えてきてくれていて。 演技経験がなくて自信がない人の場合、僕が一度全部の役のお手本をやってみます。役の感情や場面を解説するよりも、具体的に「この言い方はこうしてほしい」と音で説明する方が伝わりやすいかなと思いますね。 このやり方は、漫才の脚本を僕が書いて、相方に「こういう風に言って」と伝えていた経験が役立っています。
── 『優しいインコが暮らす街』は完全な一人芝居ですね。この脚本も門田監督が書かれたものですか?
はい。新しいカメラを買ったばかりで使いたいと思っていた頃、高校時代の同級生で俳優になった方と一緒に食事をしていて。「夜、映画撮らない?」と僕が言ったら「いいよ」って言ってくれました。 そこから2時間で僕が脚本を書いてデータを送って、すぐに覚えてもらって。夜に車で柴又まで行って撮影してからは、朝まで編集して……という流れでした。ですから、制作に24時間もかかっていないくらいの作品です。
短編映画紹介
『優しいインコが暮らす街』(ジーンシアターで独占配信) 視聴はこちらから
ストーリー
主人公・遠藤は、友人の男性に、とある奇妙な頼みごとをする。 それは明日の夜、遠藤と電話をつないで彼の話をひたすら聞くだけ。そして適当に相槌を打ってくれればいいという。 理解不能なこの頼み事の意図を尋ねられた遠藤は、友人にいきさつを話し始める。 ――遠藤の住む部屋の隣人は、どうやらまだ新入社員。テレワークで上司にいつも怒られ、日に日に元気をなくしていく隣人を、遠藤はどうにか元気づけたいと思うようになり……?
映画の演出について
── 映画のストーリーづくりと漫才のネタづくりとは、共通することはありますか?
ありますね。 漫才のネタをつくっていて「お笑いライブではウケないけど、短編映画にしたらウケるかもしれない」というアイデアをストックしています。反対に、映画のストーリーを考えていても「これは漫才の方で使えそうだな」とか。どっちも無駄にしていないし、生かせていると思います。 僕は常にそういうことを考えていて、生活の中でおもしろいと感じたことは一言メモをとるようにしていますね。
── では、逆に違いはありますか?
いわゆるセリフだらけの漫才と違って、映画は画の情報量を増やしてセリフにしない方がおしゃれだということを、ここ数年で学びました。
── 漫才と映画はエンディングに違いがあると思います。漫才は最後のオチで急に終わるパターンが定番なのに対し、反対に映画は余韻を残す手法も使われますね。エンディングについて、映画制作で気をつけていることはありますか?
僕の美学としては、映画も短く終わる方がかっこいいと思っています。一番切れ味のあるセリフでスパッと終わるような。漫才でいう最後のオチで締めくくるようなものですね。 作風が「いい話系」ならエンドロールも撮って余韻を残すこともありますが、特にコメディ系の場合は短い方がかっこいいなと。
── どの作品にも笑いの要素は入れようと考えていますか?
ファニー(funny)ではなくても、インタレスティング(interesting)のおもしろさは常に入っていてほしいなというのがありますね。ここで言うファニーはおかしさ、いわゆるボケ的な要素です。一方のインタレスティングは、興味深いという意味のおもしろさで。 難しいことを分かりやすく伝えられる人は魅力的だと感じていて、そういうキャラクターを出すのが好きです。
── 演出にあたって、大事にされていることはどんなことでしょうか?
「僕が疲れたんで、5分休みまーす」みたいなことはよく言いますね(笑)。その方がみんな和やかに休めるんで。 ピリピリしない楽しい現場作りを心がけ、いわゆるMCのように現場を回そうという思いがあります。これも芸人としての経験が生きていますね。
短編映画紹介
『マーキング』(ジーンシアターで配信) 視聴はこちらから
ストーリー
彼女持ちの男と、彼宅で鍋パーティ中のサトミ。 ふと、彼が足りないものの買い出しに出かけたことで、サトミは部屋に一人きりになる。 彼女の持ち物であろう化粧ポーチをあさり、密かにマーキングを企てるサトミだったが、次に彼の部屋を訪れた時、まさかの彼女からマーキング返しが……!? こうして、サトミと“彼女”の一人の男をめぐった戦いの火ぶたが切って落とされる!
インディーズ映画について
── インディーズ映画は収益化されないものも多いと思います。それでもつくり続けられる、映画監督としての理由やモチベーションを教えてください。
楽しいからですね。僕の映画が好きで「うちのタレントを使ってつくってくれませんか?」と言ってくれるマネージャーの方もいて、お金もいただけて。 おかげで僕としての赤字はなく制作できますし、何より頼ってくれたことに応えたいという思いがあって、映画をつくっています。
── 映画を作る際、映画祭での受賞は意識していますか?
初監督作の『くろまじゅつ』は、受賞を意識しましたね。結果、入選はしたけど賞は取れなくて。「次の作品では賞を取りたい」という思いが、僕の中で生まれました。映画祭はいろいろな場所へ行けたり、ほかの監督と仲良くなれたりと、とにかく楽しいです。 芸人同士の関係って一つの枠を取り合うライバルみたいなところがありますが、映画監督同士は仲間意識の方が強くて。お互いの現場を手伝ったり、入った仕事を振ってくれたりもあります。 映画監督仲間が増えるのは嬉しいので、映画祭はこれからもどんどん行きたいですね。
── 映画館でご自身の作品が上映された経験があれば、その時の感想を教えてください。
映画館で上映してくれる映画祭があって、その時に流してもらいました。映画館の大きなスクリーンで自分の作品を見ると、もちろん嬉しいです。
ただ、パソコンで見ている時は気にならなかったごく小さな音が、映画館のスピーカーだととても気になってしまって。「恥ずかしい」というのが毎回の感想です。
── インディーズ映画の未来についてどのように考えていますか?
本来インディーズ映画って、もっと気軽に楽しんでいいジャンルなんです。気軽に楽しむ文化ができて、もっと好きになってくれる人が増えるといいなとは思いますね。いろいろな映画祭へ行くと、おもしろいインディーズ映画がたくさんありますから。 ただ誰が見てもおもしろい作品もあれば、映画好きの人じゃないとおもしろさが分かりにくい作品もあって。インディーズ映画を初めて見たときに、おもしろさが分からない作品を引いてしまうと興味は薄れてしまいますよね。 漫才でいうM-1グランプリのファイナリストのように、ハズレがないおもしろい作品ばかりを集められたら、もっとインディーズ映画の裾野は広がっていくはずです。ですから、ジーンシアターさんのように審査された厳選作品が見られる場所があるのはとても良いと思いました。
── 最後に、今後の活動について教えてください。
60分の映画を撮らせてもらう機会もありますが、やっぱり1アイデアで作り上げる短編映画が好きだと今は感じています。 だから今後も、おもしろい短編映画をもっとたくさん撮っていきたいです。そしてゆくゆくは、短編映画制作だけでご飯が食べられるようになったら幸せだろうなと思います。
この映画監督の作品
井村 哲郎
以前編集長をしていた東急沿線のフリーマガジン「SALUS」(毎月25万部発行)で、三谷幸喜、大林宣彦、堤幸彦など30名を超える映画監督に単独インタビュー。その他、テレビ番組案内誌やビデオ作品などでも俳優や文化人、経営者、一般人などを合わせると数百人にインタビューを行う。
自身も映像プロデューサー、ディレクターであることから視聴者目線に加えて制作者としての視点と切り口での質問を得意とする。