背中を押してくれた、仲代達矢さんの言葉
「小倉昭和館」が大火で焼失したのが、2022年8月。その約3ヶ月後、11月に「小倉昭和館PRESENTS特別上映」の第1弾は開催された。「リーガロイヤルホテル小倉」の4階ロイヤルホールを貸し切り、上映されたのは『忠次旅日記』と『チャップリンの番頭』。そう、なんと無声映画の2本立てである。
活動弁士には日本独特の話芸「活弁」の第一人者として、国内外を問わず活躍している澤登翠(さわとみどり)さん、伴奏音楽には、日本においてサイレント時代の映画音楽を再現できる数少ない演奏家集団「カラード・モノトーン・デュオ」が登場。上映会は大盛況のもと、幕を閉じた。
樋口さんに改めて、「小倉昭和館PRESENTS特別上映」の開催に踏み切った経緯を尋ねると、最初は責任感からだったという。
「もともと予定をしていた上映作品、特に企画していたイベントについての責任を感じていました。第1弾の『活動写真への誘い』に関しても、もともとイベントの開催を予定していて。一度は中止のご連絡をしましたが、どうしても諦めきれなくて、すぐに会場となる場所を探すことにしました。その時に私の背中を押してくださったのが、俳優・仲代達矢さんの“樋口さんがいるところが、小倉昭和館だから”という言葉だったんです」
話術に長けて聡明なオーラを感じる樋口さんが、「小倉昭和館」のシネマトークイベントで一番緊張したという俳優が仲代達矢さんである。数々の作品に出演し、さらに多くの本も執筆している仲代さんとのトークは、どんなところから玉が飛んでくるかわからない。そんな緊張感から、出演作をできる限り見漁り、著書も全て読んだという樋口さん。そうすることでより一層、仲代達矢という人の役者としての歩みの素晴らしさを痛感したという。
そんな仲代さんから焼失後すぐに、樋口さんは「劇場がなくなっても、樋口さんがいるところが小倉昭和館だから」という言葉をかけてもらった。
「やはり、劇場が焼けて何もなくなった時に、私はもう何者でもなくなったと思ったんですね。劇場があったからこそ私の仕事があったわけで、劇場を失った今、私は無力だと。そう思っていた矢先に、仲代さんからそんな言葉をかけていただいて、その言葉に本当に力をいただきました」
さらに、「居場所がなくなって寂しい」など再建を望むファンの声も、イベント開催への活力になったそう。小倉昭和館の焼け跡には連日、多くのファンが足を運んだ。樋口さんもその1人だったが、タイミング良く会える人と、当然のことながらそうでない人もいたという。
「焼け跡でもいろいろな方とお会いすることができましたが、瓦礫の前で会うのもとても辛いですし、それだったらもう、皆様に集まっていただく場所を作ろうと思って、月に1度の上映会を始めました」
第1弾の「活動写真への誘い」はたまたま、焼失前に開催を予定していたイベントではあったが、樋口さんは「むしろぴったりだった」と微笑む。
「イベントを開催する責任はもちろんでしたが、映画の原点ともいえる作品を上映することで、自分の原点に立ち返るような気持ちになりました。活弁付きのイベントは小倉昭和館としては3回目。そもそも企画する映画館は少ないですし、なかなかできるものではない。普通の映画だったらよそでも上映できますが、小倉昭和館として開催する意味も感じることができました」
樋口さんならではの「作品を上映する使命感」
翌月12 月に、北九州市立大学で開催された『荒野に希望の灯をともす』&シネマトークも、もともとは同年の9月に開催する予定のイベントだった。『荒野に希望の灯をともす』は、アフガニスタンで人道支援に尽くした中村哲医師の生き様をたどるドキュメンタリー映画。上映後のシネマトークには、九州朝日放送解説委員長であり、中村哲医師のドキュメンタリーを何本も制作した経験のある臼井賢一郎さんと、中村哲医師の従兄弟でギラヴァンツ北九州取締役会長・玉井行人さんが登壇した。
中村哲さん、玉井行人さんは共に、小説『花と龍』のモデルであり、港湾労働者の総元締めでもあった社会奉仕家・玉井金五郎の孫にあたり、そのルーツは北九州から始まる。
「玉井金五郎さんといえば北九州の出身。その孫にあたる中村哲医師の知名度は全国区ですが、福岡の方が知名度が高く、北九州とのご縁を知っている方というのは少ないと感じていて。だからこそ、北九州のDNAから始まった人なんだよ、ということを北九州の方々にアピールしたかったんです」と話す樋口さん。
同じく北九州市立大学で2023年1月に開催された第3弾のチャン・イーモウ監督の『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』も、もとは直前の12月に開催された北九州市立男女共同参画センター・ムーブが主催する映画祭で、同監督の『妻への家路』が上映されるのに合わせて、「小倉昭和館」で上映が決まっていた作品だった。
チャン・イーモウ監督は北九州市の隣、中間市の出身である俳優・高倉健さんとの親交が深く、『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』にも、高倉健さんとのエピソードが登場する。
「1月は寒いし人も集まりにくいからやめておこうかと言っていたのですが、でもその頃には月に1回、イベントを開催しないのも寂しいかな…と思うようにもなっていて。上映前に『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』のことを調べてみたら、健さんの話も出てくるし、チャン・イーモウ監督の映画愛あふれる作品だと気付いて、今、小倉昭和館が上映すべき映画だと感じたんです。それで急遽、1月にも特別上映を開催することにしました」
「いつもうち、急なんですよね。皆さんにごめんなさいって言って…」と楽しそうに笑う樋口さんが印象的だった。
「小倉昭和館」と高倉健さんのエピソードは 第1回の記事 をチェック
一期一会、樋口さんの人柄が呼び込む化学反応
2月には第4弾として、落語家・笑福亭鶴瓶さんのドキュメンタリー映画「バケモン」上映会&落語会を開催。映画を上映した後に、鶴瓶師匠の落語が聞けるとあって、大勢の人が、会場となった小倉井筒屋新館に詰めかけた。
「実は、この映画は、配給会社さんからこういうのがありますよって紹介されたんです。というのも、コロナ禍で困っている劇場に対して、無料配給が行われた作品で。小倉昭和館さん、月1でそういうイベントをやっているなら、これを使ったらどうですか?と言っていただけたので、すぐに決めました」と樋口さん。
鶴瓶師匠の参加は、映画の上映が決まった後、同作の監督・山根真吾さんからの連絡で決まったのだそう。
「監督がシネマトークに来てくださることは決まっていたのですが、監督から、鶴瓶師匠が“俺も行こうかな”っておっしゃられてますって再度お電話をいただいたんです。行くんだったら落語やろうかって言ってくださってますよって。しかもお礼も不要、交通費も自前で行くからって言って、来てくださいました」
急遽決まった落語会は、午前と午後で違うものを披露される予定で、作品も事前に決まっていたが、鶴瓶師匠は、当日、樋口さんと話をした後、その場で午後の作品を『芝浜』に変更したという。これは、関西出身の落語家はあまりやらない作品としても知られている。
「ご挨拶の時に小倉昭和館が今年の12月に再建予定だと伝えたら、じゃあ、自分も今日、新ネタを披露しますと言って、『芝浜』をネタ下ろししてくださることになったんです。ネタ下ろしって、落語家にはとっても大きなことらしいんですね。年末に行っていたハワイでも練習してたんです、なんておっしゃっていて、小倉昭和館が12月に再開する頃、自分の『芝浜』がどのように変わるか見てみようっておっしゃってくださいました。また、『バケモン』は鶴瓶師匠が所属する事務所の社長さんが無料配給を進めてくださったそうですが、今は何も恩返しすることができない私たちにも社長さんが、“これから長い付き合いになると思いますから”と言ってくださって。本当に嬉しかったですね」
「鶴瓶師匠はいろいろな人の人生を背負うことのできる温かい方」と表現する樋口さん。どんな状況下でも、独自の視点で、発信したいテーマやお客さんを楽しませることに向き合う姿勢が、多くの人の心を動かし、まるで化学反応をするように、小倉昭和館にしかできないイベントとして、具現化していく。
再建への具体的な道筋を発表後、3月のスピンオフイベントを経て、4月に松本清張記念館で開催された第5弾「桜の宴」は、「桜で何かをしたかったんです」と笑顔。土曜ドラマ松本清張シリーズ『最後の自画像』(原作『駅路』/NHK)を上映した。
「松本清張記念館はお城の横ですから、桜がすごいんですよ。せっかくですから松本清張作品を上映したかったんです。松本清張作品を松本清張記念館様が無料上映会を行ってくださいました。向田邦子さんの脚本で、清張さんご本人も出演された作品を上映しました。せっかくですから、記念館自体も見学していただこうと入場券付きにして、中庭で清張作品の朗読と生演奏も企画しました。桜の時期なので、夜はまだ冷えるかな、と思って揚子江の豚まんも付けて(笑)。照明もプロにお願いすると高いですから、自分で舞台屋さんに借りに行って、豚まんも買いに行ったりして、大忙しでしたね」
魂を込めるように一つ一つ企画するからこそ
4月にはついに、イベント開催のきっかけにもなった俳優・仲代達矢さんと、同氏が設立した「無名塾」第31期生4人の物語『役者として生きる』の上映会を開催した。仲代さんが北九州芸術劇場に舞台の公演で来ていた際に、同劇場の事務局長である民谷陽子さんに紹介してもらったのがきっかけで、シネマトークでの登壇を依頼したところ、快く引き受けてくれたのだそう。その後、度々、お客さまとしても小倉昭和館に足を運んでくれたという。
「仲代さんがお芝居で近くに来られたタイミングで、小倉昭和館で仲代さんの作品を上映している時は必ず見に来てくださっていました。普通に歩いてこられるので、周りの方も気付かないんですよ(笑)。でも、ちょっと一言いただけますか?なんてお願いすると、立ち上がった瞬間にオーラが変わって、役者・仲代達矢の顔になってるんです」
「仲代さんに来ていただいてシネマトークが出来たというのは、小倉昭和館の歴史の中でも、とても大きなこと」と話す樋口さん。そのご本人からかけられた「劇場がなくなっても、樋口さんがいるところが小倉昭和館だから」という言葉は、再建を目指し突き進む樋口さんの心を今日も力強く支えている。
2023年12 月に再スタートを切るまで、半年を切った「小倉昭和館」。一方でさまざまな会場を借りての「小倉昭和館PRESENTS特別上映」は、残りわずかだ。まるで魂を込めるように、一つ一つの企画と向き合い、実に楽しげに練り上げていく樋口さん。次はどんな景色を見せてもらえるのか、“今しか体験できない小倉昭和館”ならではのワクワクを享受しつつ、再開を楽しみに待ちたい。
【小倉昭和館PRESENTS特別上映】
第1弾(2022年11月)
活動弁士付き無声映画上映会『忠次旅日記』『チャップリンの番頭』
(弁士:澤登翠、伴奏:カラード・モノトーン・デュオ)
第2弾(2022年12月)
アフガニスタンで人道支援に尽くされた中村哲先生の生き方をたどるドキュメンタリー映画「荒野に希望の灯をともす」&シネマトーク(臼井賢一郎さん・玉井行人さん)
第3弾(2023年1月)
チャン・イーモウ監督の「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」(北九州市立大学・竹川大介教授・中国からの留学生)
第4弾(2023年2月)
「バケモン」上映会&笑福亭鶴瓶師匠落語会
スピンオフイベント(2023年3月)
ドリアン・ロロブリジーダ・トーク&ショー
第5弾(2023年4月)
松本清張シリーズドラマ「最後の自画像」上映
朗読会 朗読 権藤喜美惠さん(青春座)古田美佐代さん(青春座)
演奏 オカリナ:古賀厚志さん(松本清張記念館館長)
サックスアンサンブル:ブルートレイン
揚子江のぶたまん付き
第6弾(2023年4月)
仲代達矢さんと無名塾第31期生の4人の物語「役者として生きる」上映会
北九州市民劇場事務局長・民谷陽子さんのアフタートーク
第7弾(2023年5月)
「妖怪の孫」の上映会
監督の内山雄人さんのシネマトーク
第8弾(2023年6月)
「あなたの微笑み」&ショートフィルム「映画の街・北九州」の上映会
北九州フィルムコミッションの上田秀栄さんのアフタートーク
第9弾(2023年7月)
桂竹丸さんの落語会
演目:【代脈】【ホタルの母】
旧日本軍伏龍隊員の篠原守さんによる平和へのメッセージ・ハーモニカ演奏
最新情報は 小倉昭和館のホームページ から
小倉昭和館 館主
樋口 智巳さん
1960年北九州市小倉に映画館の娘として生まれる。青山学院女子短期大学卒業後、JR関連、講座イベント企画の仕事に従事し、その後小倉昭和館創業70年を機に家業に戻り三代目館主となる。デジタル上映は元より「高倉健特集」を始めとした35mmフィルムの上映も存続。映画監督・俳優・作家・スポーツ選手などを招いてのトークイベントや生演奏・合唱、オールナイト上映なども行っていた。また地元企業や行政などとの連携イベントにも積極的に取り組んでおり、映画館を貸館として各団体や企業などに開放することも進めていた。創業83年を前に2022年8月の旦過地区大火災で焼失するが、現在2023年12月再開を目標に元の場所での再建に励んでいる。