黒字化が見えた途端にコロナ禍を迎えて
居心地が良くて、行けば何かワクワクする事が起こる予感があって、「まるで樋口さんの家に遊びに行くようだった」と評される「小倉昭和館」。その人気の秘密は、第1回の記事で紹介したような、映画館の枠にとらわれない樋口さんの企画力にある。
コロナ禍で経営が苦しい中、「廃業しようとは思わなかった」とサラリと語る樋口さん。努力を積み重ねてせっかく黒字化し始めた頃に、自身の映画館だけではなく、全国各地の映画館が軒並み休館に追い込まれた緊急事態宣言中も、心が折れることはなかった。彼女の心を支えたのは、それまで自身が「喜ばせよう」と日々思い続けたお客さまの存在である。
「うちは戦争中も休館した事がなかったので、緊急事態宣言で全国の映画館が休館するような事態になったことはちょっと大変だなとは思いましたし、うちのような小さな映画館が休館したら、次、開ける事ができるかどうか心配にもなりました。でもお客様が心配して、お見舞いや、絶対再開して欲しいっていうお手紙をたくさんくださって。このまま負けたくないと思って始めたのが“シネマパスポート”なんです」
すぐに「シネマパスポート」を発売
「小倉昭和館」のシネマパスポートとは、コロナ禍による緊急事態宣言が開けて、再び映画館で映画が観られるようになったら、半年間、2本立て2スクリーンが見放題になるチケット(1枚1万2000円)のこと。通常時、「小倉昭和館」では、2本立ての料金が1200円。話題の作品やスタッフおすすめの作品を1ヶ月で8〜10本上映していたので、最短約1ヶ月程度で元が取れてしまう計算だ。
実は、樋口さんにとってシネマパスポートは、コロナ禍前からやりたかったことの1つだったという。
「東京のある名画座にお話をうかがった時には、東京だから年間6000人ほどの会員が確保できるけれど、地方では無理だと言われました。スタッフの皆にも反対されましたし、経営のことを考えたら踏み切れなかったんですね。でも緊急事態宣言で全国の映画館が休館しているときだからこそ、再開したら、好きなだけ映画を観てくださいというメッセージになると思ったんです。お客様に対してはそういう気持ちでしたけど、結果的に小倉昭和館を下支えしてくれたのは、このシネマパスポートの代金でした」
スタッフにも休みを出していた緊急事態宣言中、樋口さんは息子と毎日映画館に出勤し、シネマパスポートの準備にいそがしく活動していた。コロナ禍の初年度には400枚以上の売り上げを記録。上映再開後、2本立てを一度に観るのも体力的にキツく感じていた高齢の利用者からは、「好きな時に分けて観られて嬉しい」という声も上がったという。
ピンチをチャンスに活かす瞬発力
樋口さんが次に取り掛かったのが、何と「喫茶営業の許可申請」だった。もともと売店で、粉やドリップバッグが人気商品だったコーヒー「昭和館ブレンド」を館内でも飲めるようにしたのだ。
「昭和館ブレンド」は、以前住んでいた福岡県大野城市にあるコーヒーショップ「豆香洞(とうかどう)」のオーナー・後藤直紀さんが、同館のイメージにあわせてオリジナルに焙煎・ブレンドしたもの。後藤さんはフランス・ニースで行われた国際大会「ワールド コーヒー ロスティング チャンピオンシップ」の優勝経験もある凄腕のコーヒーマンである。
「もともと後藤さんとは知り合いでした。デジタルシネマを導入した記念に何かしたいな、と思っていたタイミングで、後藤さんが国際大会でチャンピオンになられたんですね。それがきっかけで昭和館ブレンドをつくっていただいたのですが、お客様から館内でも飲みたいという声をたくさんいただいていて。でもコロナ禍前は準備をする時間もなくて、できないでいました。ですからコロナ禍で時間ができたのを機に、思い立って喫茶営業の許可を取りに行きました。後藤さんにもどんなマシンが良いかをご指導いただいたりして。昭和館ブレンドは、館内で豆から挽いているんですよ」
映画は一緒に観る人と感情を共有したいから
さまざまな感染対策が求められたコロナ禍では、外出先の至る所で、例え一緒に暮らす家族でも間隔を開ける事が求められた。
「一緒に暮らして、さっきまで一緒に行動していた家族なのに、一席空きで座らなければならないなんて何か変だよね、と感じていたんです。それにもともとうちの映画館は、上方の席のピッチが狭かったのも気になっていたので、何列か席を外して、2人掛けのソファを6つ入れました。この6つのソファのために、北九州の家具屋さんでは事足りず、福岡まで回ったんです。私たち、もうどれくらいソファに座っただろうっていうくらい座って決めました」
そう楽しそうに話す樋口さん。その笑顔には、逆境に折れない、しなやかな強さがうかがえる。このペアシートの導入資金は、お客さまからのお見舞い金のほか、もともと交流のあった北九州出身の俳優・光石研さんによる寄付でまかなわれた。
光石研さんが、北九州市民文化賞を受章した際に賞金を「小倉昭和館」に寄付してくれたのだそうで、このペアシートは「光石研シート」と呼ばれ、多くの人に親しまれるようになる。飲食物の提供が再開されると、ペアシートに合わせてあつらえたテーブルに、思い思いの「映画のお供」を広げて、親しい人と映画を楽しむ人で賑わった。
「ご夫婦はもちろん、お友だちと利用される方も、中にはお一人の方もいらっしゃいました。もともとペアシートを利用するための追加料金はいただいていませんでしたし、空いている時はお一人の方にもご利用いただいていましたから。うちは飲食の持ち込みもOKでしたが、ペアシートをご利用の際は、せっかくテーブルもあることですし、売店商品のお買い上げをお願いしていました」
コロナ禍を機に誕生したペアシートにも、「映画館とは、映画を観るたけの場所ではなく、観る前からワクワクしたり、居心地の良さを感じて頂けたりする場所」という樋口さんらしいマインドが確かに息づいていた。
持ち前のポジティブマインドで休館の日々を乗り越えた先に、樋口さんを待ち構えていたのは、事もあろうか、「小倉昭和館」の焼失だった。多くの人が心折れてしまいそうな状況で、樋口さんは「息子がね、(人に私のことを)『この人、逆境に強いんです』って言うんです」とどこか誇らしげに笑う。
「瞬発力はあるんです(笑)。できないことはないと思ってやっていますから。それに小倉昭和館は、たくさんの方のご縁に支えられた映画館なんですよ」
消失の後、「小倉昭和館」再建支援を市に求める有志の署名活動が始まり、クラウドファンディングも立ち上がった。2023年4月末には、機材や内装費にかける費用の一部として、目標に掲げた3000万円を優に超える4000万円以上の資金が集まり、12月13日(水)に予定された再オープンに向けた歩みを加速させている。
目標金額を超えて集まった支援金は、映画を観ない人でも利用できるパブリックスペースの拡充に使われる予定だが、再建にはまだまだ莫大な経費を必要としている。パブリックスペースには展示設備や飲食スーペースを整え、映画を観るためだけの施設ではなく、全ての人にとって心地の良い居場所になれる空間を目指す。まだ見ぬその姿を思い描いただけで、ワクワクと心が躍る映画館。ゼロからのスタートとなった「小倉昭和館」と樋口さんの挑戦は、まだまだ続いていく。
小倉昭和館 館主
樋口 智巳さん
1960年北九州市小倉に映画館の娘として生まれる。青山学院女子短期大学卒業後、JR関連、講座イベント企画の仕事に従事し、その後小倉昭和館創業70年を機に家業に戻り三代目館主となる。デジタル上映は元より「高倉健特集」を始めとした35mmフィルムの上映も存続。映画監督・俳優・作家・スポーツ選手などを招いてのトークイベントや生演奏・合唱、オールナイト上映なども行っていた。また地元企業や行政などとの連携イベントにも積極的に取り組んでおり、映画館を貸館として各団体や企業などに開放することも進めていた。創業83年を前に2022年8月の旦過地区大火災で焼失するが、現在2023年12月再開を目標に元の場所での再建に励んでいる。