全編アクション短編映画の『私とペットどっちが好きなの?』
── 続いて『私とペットどっちが好きなの?』について伺います。こちらは一転して全編アクション短編映画ですね。カメラワークが大変ではなかったですか?
最初は仲間内で「ちょっと撮ってみよう」という遊び感覚で、室内のシーンだけ先に撮って一旦完成させました。その段階ではまだペットのアイデアは出てきていなかったのですが、主演いただいた阿佐美貴士さん・兼田玲菜さんとお話しした時に、この作品をアクション映像のコンペに出したいねという話になったので、シーンを増やしてリッチにしました。
── アクションシーンってカメラ位置やカット割りなど事前に決めて撮影すると思うのですが、大変でしたか?
主演のお二人とも殺陣師なので、その辺は慣れていて、その場でどんどんアクションをつけていってくださいました。スタッフも僕一人でしたし、ジンバルなども使わずほぼ完全ハンディでの撮影でした。流石にカットは細かく割りましたけど、特に最後のシーンなんかはとにかく時間がなさすぎて大変でした。
── 犬は、ペット専門の出演会社から借りてきたタレント犬とかなのでしょうか?
いえ、阿佐美くんのペット「ポワンちゃん」です。
──ただでさえ大変なアクションシーンに犬も加わったことで難易度も上がりそうですね。何か大変だったエピソードなどはありましたか?
アクションのカット割りを考えながら撮っていくのはやはり大変でした。あとは、手持ちカメラでの撮影なので、撮影筋を使うというか。かなり筋トレになりました(笑)
また、ポワンちゃんはプロではないので集中力に限りがあり、何回もテイクを重ねられない難しさがありました。ポワンちゃんが皆をかき分けてカメラに寄っていくシーンに関しては、飼い主の阿佐美くんがカメラの後ろで「こっちにおいで」と誘導しながら、2〜3回ぐらい撮影したうちの良いところを切り取って編集で調整しました。アクションシーンの良し悪しって受け手次第なところがあると思うのですが、受け手である兼田さんのお弟子さんたちが、かなりお上手だったので、そこに助けられました。
よく見るとポワンちゃんはただ逃げているだけなのですが、その方たちが「捕まえにいく」「転ぶ」などのリアクションを大袈裟にすることで、あのシーンを成立させてくださいました。まさにチームワークの賜物ですね。
そして何よりも彼らのアクションリールとしての側面が大きいので、ちゃんと「殴られている」「くらっている」ように見えるアングルにこだわって、現場で試行錯誤しながら細かく調整していきました。アクションは特に編集でのごまかしがきかないので、現場の段階でしっかりチェックすることを心がけました。
──浦監督は、どちらかというと落ち着いた大人っぽい作品を作られるイメージがあります。アクション作品を撮ることになった時はご自身でも結構驚かれたのではないですか?
僕はもともとアクションが大好きで、世代的にジャッキー・チェーンやシュワちゃんの作品をよく観ていたので、いつかアクション作品を撮ってみたいという願望はありました。
でもアクションの世界は仕事につなげていくことが難しいと聞いていたので、兼田さんから今作のお誘いを受けた時は「ぜひ」とお返事しました。それであのカフェのシーンをまず撮影したんです。
当時は、まだシネマカメラを買う前で、全てFUJI FILMのX-T3という一眼レフを使って、レンズも35ミリと50ミリの単焦点2本で撮りました。カメラの性能的に暗部に弱いので、一応照明機材も用意していましたが、暗いカフェシーンは大変でした。
手元にある機材で試しに撮ってみようと始めてみたらかなり苦労しました。
この反省を活かして、外の撮影などは知り合いにレンズセットを借りて、シネマカメラで撮るようになりました。
短編映画紹介
『私とペットどっちが好きなの?』(ジーンシアターで配信)視聴はこちらから
ストーリー
ペットのポメラニアンを溺愛する彼氏と、犬にやきもちを焼く彼女……
このふたり実はとんでもないヤンキーカップルで、今日は飼い犬・ぽわんが原因で周囲を巻き込んだ大喧嘩に発展してしまう。
それから数日後、彼女を恨む連中たちの手によってピンチに追い込まれ、揚げ句にはぽわんにまでも危険が及び……!?
鑑賞後スカッとすること間違いなしの、プロ指導本格アクションシーンが本作の見どころ。
ほぼハンディで撮影した短編映画『赤いやね』
──『赤いやね』は憧れの人に思いを寄せる女性の心情を描いていますが、カメラはほぼハンディ(手持ち)ですね。
最初のシーンだけ同ポジ(カメラの位置を変えないで撮影する同一ポジション)にするためにフィックスでしたが、他は全てハンディで撮影しました。
僕はもともとハンディで撮影するのが好きなんです。登場人物に寄り添うように動きに合わせてカメラで迫るなど、制作側が見せたいところにカメラを誘導できるのがハンディの魅力だと感じます。監督やカメラマンの意図や演出が色濃く出る手法ではありますが、それが個人的には好きです。
──手持ちだと揺れはどうしても出ると思いますが、人物の心情を反映するよう意識されているのでしょうか?
そういった意識はありますね。もちろん、意図せず揺れてしまう時もあるのですが。
例えば港沿いの夜道をゆっくり歩くシーンでは、あの時は暗かったのでカメラのフォーカスを開放にして、ピントも合っていないような状態で人物と一緒に歩きながら撮影しました。
ハンディで一緒に歩くとどうしても揺れは生じてしまいますが、それも含めて、あのシーンには合っていたんじゃないかなと思います。
──すごいですね。役者さんもお上手でしたね。
そうですね。そういった意味でも、とてもやりやすかったです。
──主人公がメガネをかけている時と外した時がありましたが、ビジュアル面でも何か演出意図があったのですか?
そうですね。一緒にいた女性を見て「彼はああいう都会的な女性が好みなのかな」とあの子なりに考えて彼の好みに寄せる、という演出意図はありました。だから、髪を巻いたりメイクを変えたりしてもらっています。
地方にいる子が都会的な女性に憧れて勇気を出してちょっと背伸びをする姿を、この作品を通して応援したい気持ちもありました。
演出について
──映画監督には作風に傾向が出るものだと思うのですが、浦監督の演出はどのようなことを心がけているでしょうか?作風としてのこだわりなどありましたら教えていただきたいです。
作風としてのこだわりという意味では、僕は「女性が立ち直って強くなっていく」という物語をつくる傾向にある、と最近自覚しました。
特に意識していたわけではないのですが、結果的にそうなっています。先日30分ほどの尺の中編映画を2本つくりましたが、そのうちの1本はルームシェアをしている女の子2人が、苦労を乗り越えながら頑張って生きていくストーリーです。
僕は、女性って強いと思っています。努力して強くなっていく過程だったり、もともとある強さが表に出てきたりを描くというのが、僕の作品の共通点のようです。
── 浦監督は監督作品も多いですが、撮影監督もされますよね。浦監督の作品はとても映像が幻想的で綺麗ですが、最初は撮影監督から始めたのでしょうか?
大学生の頃に自分で監督・撮影で自主映画制作をしていましたが、社会人になってからはテレビのディレクターや映画の助監督がメインで、7〜8年くらいカメラを持たない期間がありました。
2017年のドキュメンタリーの仕事で、自分でカメラを回す必要があり、そこで初めて一眼レフを触りました。それから2〜3年くらいはドキュメンタリーばかり撮っていたのですが、コロナ禍をきっかけに自分でつくろうと思い、作品を撮り始めました。会社での仕事は撮影がほとんどです。
── 監督をしている時と撮影監督をしている時では違いはありますか?
監督をしている時は、撮影の進行や現場でのさまざまなことに目配りしながら広い視点で見て動いているのですが、それに対して撮影監督の時は「良い画を撮る」ことに、より一層集中しています。とはいえ監督もやっていますから、作品全体のバランスを取っていくような視点は常にありますが。
毎週のように家族で映画を観ていた子ども時代
── 映像関係の仕事をすることに決めたのはいつ頃からでしょうか?
実家では、毎週のように週末に家族で映画を観る習慣があり、子どもの頃から映画は身近なものでした。そんな環境から「人を楽しませたい」「人の心を動かしたい」と思い始めて、高校生の頃から遊び感覚で映画を撮り始めるようになりました。放課後に友達と神社の裏に行って撮影したり、編集もWindowsに初期搭載されている編集ソフトでやってみたり。
大学では自主映画制作のサークルに入りました。母校のある北九州には北九州フィルムコミッションがあり、そこで4年間ボランティアスタッフとして参加していたんです。『海猿』や『ワイルドセブン』のような商業作品の現場に携わる貴重な経験ができました。
── 大学卒業後、映像制作会社に入られたのですね。そこではどのような仕事をされましたか?
就職先はテレビの情報番組などをつくる映像制作会社です。最初はADからスタートして、ディレクターになってからはニュースを求めて全国を飛び回っていました。数年間ニュース番組をやりましたが「自分が本当にやりたいのは作品づくりだ」という自分自身の想いに気づいて。一時期は映像の世界から離れたのですが、再び戻り、今度は映画の制作会社に入りました。
そこでは映画だけでなく企業案件やミュージックビデオなど、大小問わずさまざまな映像制作に携わることができました。『キングダム』や『銀魂』なども制作している会社だったので、そういった大規模な現場に入りつつ、撮影前の準備期間にはMV現場のプロジェクトマネージャーなどもやっていました。
今は企業PVがメインの制作会社にいるのですが、さまざまな現場に関わることができた経験を今の会社の後輩たちに伝えることができ、これまでの経験が役に立っています。
── 好きな映画監督、参考になる映画監督は誰でしょうか?
クリントイーストウッド監督が大好きです。特に2010年代くらいの『グラン・トリノ』や『ミスティック・リバー』がすごく好きです。あとは『パーフェクト・ワールド』も大好きな作品ですね。僕の父親は仕事であまり家にいなかったので、父と過ごす時間がとても大切でした。ですから、父と息子を描いた物語にはつい涙してしまいます。『パーフェクト・ワールド』は実の父と子ではなく擬似家族のような感じですが、父親を知らない少年が相手に対して父親を感じてしまうみたいなところにぐっときます。自分でもいつか父と息子の作品に挑戦してみたいですね。
スタジオジブリの『耳をすませば』も好きです。全ての青春があの中に詰まっているような気がして。
コロナ禍で強く感じた「撮影したい」欲求
── インディーズ映画は一般的に収益化が難しい面がありますが、それでも取り組む理由やモチベーションの根源について教えてください。
やはりコロナの影響が大きかったと思います。
コロナ禍になってこの業界全体がストップし、決まっていた仕事もキャンセルになったり、撮影ができなかったりした状態が長くありました。そんな「撮影できない苦しさ」を経験してしまったので、ものすごく強く「撮影したい」という欲が自分の中に芽生えて。それは自分にとって一番シンプルな欲求で、仕事とか収入になるとか関係なく自分はこれがしたいのだと気付かされました。
そんな中、SNSで「映像小屋」というコミュニティを知ったんです。
そこには自分と似たような想いを持った人たちが集まっていました。僕自身当時はまだよくカメラのことも知らなかったので、映像小屋での活動を通していろいろな監督やカメラマンの現場を見たことが自分の技術面での成長にもつながったなと思います。
──インディーズ映画の未来についてどのように考えていますか?
作品を発表できる場が必要だと思います。
現状、インディーズ作品ではどうしても資金面での問題があり、強い気持ちを持って自己資金だけでつくっていても、いずれ無理が生じてつくれなくなってしまうという負のスパイラルを感じています。
スポンサーなどの支援が必要だなと思いますが、それもなかなか難しいので、何か仕組みが必要ですよね。身近な例で言うと、僕が撮影監督を担当した末吉ノブ監督の『チャロの囀り』は、自主制作映画ですが配給にものすごく時間と労力を注ぎ、来年のユーロスペースでの上映を決めることができました。
──今後はどのような活動をしていきたいですか?
先ほどお話した「映像小屋」が、現在主催者が変わって『Sprocket Holes Japan』という名前になっているのですが、その中で、ひとつの脚本を元に、同じ日に、同じ時間内(一日)で、撮り切るというイベントを2か月に一回のペースで行っています。
スプロケのメンバー30人くらいで4〜5チームに分かれて、脚本もキャストも演じる役も全て撮影前日に発表され、撮影当日は準備に1時間、撮影に1時間、という厳しい同条件の中で行われるものなのですが、同じ条件でも演出者・カメラマン・俳優が違うと全く異なる作品に仕上がるので面白いです。YouTubeにもあげていますので、ぜひ見ていただきたいです。
井村 哲郎
以前編集長をしていた東急沿線のフリーマガジン「SALUS」(毎月25万部発行)で、三谷幸喜、大林宣彦、堤幸彦など30名を超える映画監督に単独インタビュー。その他、テレビ番組案内誌やビデオ作品などでも俳優や文化人、経営者、一般人などを合わせると数百人にインタビューを行う。
自身も映像プロデューサー、ディレクターであることから視聴者目線に加えて制作者としての視点と切り口での質問を得意とする。