『無明の橋』との出会い

ーー『無明の橋』に出てくる儀式はどのように知ったのでしょうか?

『無明の橋』は、富山県の立山で三年に一度行われる「布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)」という女性のための救済儀式を題材にした映画です。この儀式そのものがあまり知られていないのですが、私は2016年に初めてその存在を知りました。

デビュー作『真白の恋』の公開前に宣伝活動をしていた時に、地元・富山のテレビ局のアナウンサーからインタビューされたんです。そのアナウンサーからたまたま布橋灌頂会の話を聞いて、「布橋灌頂会って何ですか?」というところから教えてもらいました。そのときに聞いたのは、これは女性だけの儀式で、古くは江戸時代に信仰の山「立山」への登拝が許されなかった女性たちが“生まれ変わるために”訪れていたというものだったんです。そこにすごく強い人間の祈りや葛藤があるのではないかと感じました。それを知ってから、この儀式を映画として描いてみたいという思いが生まれたのです。

坂本欣弘監督

ーー布橋灌頂会は江戸時代から続いているんですね。

そうです。江戸時代から続いていますが、一度途絶えた時期がありました。廃仏毀釈によって廃止された後、平成の時代に再現という形で復活したと聞いています。

ーー坂本監督ご自身は、実際にその布橋灌頂会の儀式をご覧になったんですか。

はい。私は2017年くらいから「この儀式を映画にしたい」と考えていました。ただ、2020年に観覧したかったのですがコロナ禍で中止・延期となり、2022年に無観客で開催、そして2023年に通常開催されました。ようやく現地でしっかり見ることができたのは、その2023年のときです。

ーー実際にご覧になって、どういう印象を持たれましたか。

女性だけの儀式なので、私は参加することはできませんでしたが、2022年の無観客開催の際には、実行委員会のスタッフとして中に入らせてもらいました。その翌年、立山町のご厚意で特別に遥望館という場所にも入らせてもらったんです。

その時の体験をもとに、「自分が感じたことをどう映画に落とし込むか」を考えました。霊的な意味ではなく、実際に体験した“現実としての時間”をどう観客に伝えるか。それを意識してつくりました。

映画化への道とキャスティングの思い

ーー八木由起子役を演じた渡辺真起子さんについて伺います。この役は最初から渡辺さんにお願いするつもりだったんですか。

はい。最初から渡辺真起子さんと映画をつくることを前提に企画を立てていました。私の監督第2作『もみの家』を撮っていた頃から、次は渡辺真起子さんを主演で映画を撮ろうと考えていたんです。

ーー真起子さんとはどのような出会いだったのでしょうか。

私はもともと真起子さんのファンで。中高生の頃に見た映画が自分に多くの影響を与えているのですが、その頃に観た作品の中で、真起子さんの存在が強く心に残っていました。東京に出てきて映画の専門学校に入ったとき、授業で観た映画に真起子さんが出演されていて、「あの銀幕の女優さんだ」と感激したんです。

それ以来ずっと憧れていて、『もみの家』の時も「真起子さんに出てほしい」と強くプロデューサーにお願いしていました。結果的に出演を快諾してくださって、その撮影の合間に「次は布橋灌頂会を題材に映画を撮りたいんです」と話していたんです。クランクアップ後に本格的に企画を動かし始めました。

『無明の橋』のワンシーン

ーーまさに渡辺真起子さんありきの企画だったわけですね。

そうですね。憧れの女優さんと一緒に映画をつくれるというのは、私にとって大きなことでした。作品全体を通しても、真起子さんが持つ“静けさの中の強さ”のようなものがテーマに通じています。

ーー陣野小和さん演じる沙梨役も印象的でした。

陣野さんはオーディションで選ばせていただきました。とても印象に残る方で、明るい役も暗い役もできる。見た目からも明るさを感じるんですが、どこかミステリアスなところもあって、観客が「この人は生きているのか、いないのか」と思えるような、ちょっと現実離れした存在感を持っているんです。それが作品の世界観に合っていました。

ーー演出はどのようにされたんでしょうか。

あまり細かい指示は出さず、自由に演じてもらいました。あの役はいろんな解釈ができるようにしたくて、観客の中には「もしかして彼女は由起子の娘なのでは?」と感じる人もいると思います。どちらでも成り立つように、余白を残すことを意識しました。

ーー台詞が少ないのも印象的でした。

そうですね。意図的にそうしています。観客を信じて、説明しすぎない。極端にわかりやすくするのではなく、「画面に映っているものを見ればわかる」映画にしたかったんです。スタッフ全員で“説明を省く勇気”を共有してつくっていました。

現実と幻想が交錯する世界

ーー作中には、食堂のシーンやバス停のシーンなど、現実と幻想が入り混じる印象的な場面が多くありました。あれはどのように構成されたのですか。

あのバス停のシーンは、実はとても重要です。映画の中では、現実と幻想の境界をあえて曖昧にしています。観客の中で「これは夢なのか、現実なのか」「生者の話なのか死者の話なのか」と感じてもらうことが目的でした。

『無明の橋』のワンシーン

ーー食堂の場面も印象的でした。登場人物たちが底抜けに明るい。あれもやはり意図的なんですか。

はい、あれも完全に意図的です。観客が「いや、そんなに明るいわけないだろう」と思うくらいに。

あのシーンでは、現実ではあり得ないほどのテンションの高さを演出して、「これは本当に現実なのか?」と感じさせたかった。明るい音楽、軽い笑い声、わざと長いカット――すべて“あれ?何かおかしい”という感覚を観客に植え付けるための演出です。

ーー確かに、そこに“変だな”という空気を感じました。

はい。現実の照明なのに、どこか照明が“ずれている”感じを出しています。この映画ではそうした“違和感”が、後半の幻想的な展開につながるように設計されています。

ーー立山連峰の映像もとても印象的でした。あれはかなりのこだわりを感じました。

ありがとうございます。立山連峰はこの作品のもうひとりの“登場人物”だと思っています。上流から下流まで実際にすべて回り、川の流れを追いながら撮影しました。富山という土地の顔を全部見せたいという気持ちがありました。

あの川のシーン――由起子が渡る川ですね――あれは立山の水の象徴でもあります。あの場所で、富山全体の“祈りの流れ”を一本の映像で表現できたらと思っていました。

ーー最後の、とある映像的な演出も印象的でした。

あれは実際の儀式の体験から来ています。布橋灌頂会の儀式では、参加者が目隠しをして橋を渡るんです。何も見えない闇の中で、自分と向き合う時間がある。その時間を映画館の暗闇で再現したかった。観客にも、自分の内側と向き合うような瞬間を感じてほしかったんです。

私自身、初めて儀式を体験したとき、あまりの静けさと集中に“トランス状態”のようになりました。それを映画の演出にどう活かすか、というのが大きな挑戦でしたね。渡辺真起子さんにも「これは芝居ではなく、体験としてやってください」と伝えました。結果的に、演出というより“儀式そのものを体験してもらう”ような形になりました。

“見えなくても確かに存在しているもの”を信じてほしい

ーーこの映画を通して、坂本監督がどうしても伝えたかったことは何ですか。

そうですね。端的に言うと、「そこにあるはずのないものが、ある」ということです。私自身、学生時代の先輩を亡くして以来、毎年お墓参りに行っているんですが、墓の前で手を合わせると「そこに先輩がいる」と感じるんです。実際にはいないはずなのに、“いる”と思うだけで心が安らぐ。その感覚を映画で表現したかったんです。

本当に苦しんでいる人にとって、「そこにいる」と思えること自体が救いになる。見えなくても、確かに存在している――そういう心の在り方を描きたかった。仏教的な考え方に近いかもしれませんが、“ないものを信じる”ことが、心を軽くする力になると思っています。

ーー作品全体が、まさにその“見えないものへの信頼”で貫かれていますね。

そうですね。私にとってこの映画は、自分と他者、生と死、現実と幻想の境界線を描く作品です。観客に「自分の中にもそういう場所がある」と感じてもらえたら嬉しい。苦しんでいる人が、少しでも気持ちを楽にできる映画になればと思っています。

ーー最後に、観客にどんな気持ちで観てもらいたいですか。

この映画を通して、まずは立山という土地と、布橋灌頂会という文化を知ってもらいたいです。そして、「こういう映画の形もあるんだ」と感じてほしい。今の高校生や学生たちが、映画を通じて何かを感じ取ってくれたら、それが一番うれしいです。私も学生のときに観た映画に強く影響を受けて今がありますから。『無明の橋』が、誰かの心に残る一本になれば、それだけで意味があると思っています。

Profile
坂本欣弘監督
1986年生まれ、富山県出身。デビュー作『真白の恋』(2017)で主人公・真白のつたない恋心の機微を自身の出身地・富山県の美しい風景と共に丹念に映し出し、第32回高崎映画祭 新進監督グランプリ、なら国際映画祭や福井映画祭で観客賞を受賞など、国内映画祭、映画ファンの心を鷲掴みにした。続く『もみの家』(2020)では、四季を通じて富山での撮影を行い、少女の成長を丁寧に描いた。最新作『無明の橋』(2025)では、立山の風景を背景に“喪失と再生”をテーマとした物語を紡いでいる。富山の風土に根ざしながら、人の心に静かに寄り添う作品を生み出し続けている。

概要

『無明の橋』

ストーリー

15年前、3歳だった愛娘を亡くした由起子は、 心に癒えぬ傷を背負いながら、今もその罪の意識から逃れられずにいた。 
ある日、とある絵画を偶然目にして心を奪われた彼女は、 駆り立てられるように、その絵が描く舞台の地へと足を運ぶ。 
立山連峰を望む橋のたもと。 
様々な想いを抱えた女性が集うその場所で、 由起子は不思議なひとときを過ごすことになるのだった―。 

監督・脚本

坂本欣弘

出演

渡辺真起子

陣野小和

吉岡睦雄 岩瀬亮 山口詩史 岩谷健司 

木竜麻生 / 室井滋

スタッフ

脚本 伊吹一 坂本欣弘

音楽 未知瑠 

製作 堀江泰 福田里美 加治幸大 坂本欣弘 小林永 福崎秀樹 

プロデューサー 髭野純

ラインプロデューサー 田中佐知彦 

アソシエイトプロデューサー 仙田麻子 

撮影 米倉伸

照明 平谷里紗

音響 黄永昌 

美術 畠智哉

スタイリスト 大場千夏

ヘアメイク 斎藤恵理子 

助監督・編集 中村幸貴

制作担当 小元咲貴子 種村晃汰 

制作協力 イハフィルムズ Ippo

制作プロダクション コトリ 

配給・宣伝 ラビットハウス 

「無明の橋」製作委員会(堀江車輌電装/ZOO/北陸ポートサービス/コトリ/PARK/フクール) 

© 2025「無明の橋」製作委員会 

2025/日本/カラー/2:1/5.1 ch/95分 劇場公開

SNS

公式サイト mumyonohashi.com 

公式X https://x.com/mumyo_hashi

公式Instagram  https://www.instagram.com/mumyo_hashi/

劇場公開(2025年12月現在)

新宿武蔵野館 2025年12月19日〜

シネスイッチ銀座 2025年12月19日〜

京都シネマ 2025年12月19日〜

第七藝術劇場 2025年12月27日〜

シネマスコーレ 2026年1月17日〜1月29日

シネマポスト 2026年1月17日〜1月23日

元町映画館 2026年上映予定

インタビュアー
井村哲郎

以前編集長をしていた東急沿線のフリーマガジン「SALUS」(毎月25万部発行)で、三谷幸喜、大林宣彦、堤幸彦など30名を超える映画監督に単独インタビュー。その他、テレビ番組案内誌やビデオ作品などでも俳優や文化人、経営者、一般人などを合わせると数百人にインタビューを行う。

自身も映像プロデューサー、ディレクターであることから視聴者目線に加えて制作者としての視点と切り口での質問を得意とする。